【育将・今西和男】李漢宰「サンフレッチェ広島で世界観が広がった」 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • 織田桂子●写真 photo by Oda Keiko

 しかし、別れは早くやって来た。1960年10月、前年12月より始まった在日朝鮮人の北朝鮮への帰国運動で、ドンギュウはピョンヤンへ渡る決意をする。在日のほとんどが38度線より南の出身であったが、北朝鮮政府、日本政府、赤十字が推し進めたこの運動は約9万4千人を縁者のいない北朝鮮に“帰国”させている。

 なぜ、ドンギュウが帰国するのか。チームメイトたちは敢えて多くを聞かなかったが、この恩人のために精一杯の誠意を込めた送別会を開いて見送った。今西はたった1年しか一緒にプレーが出来なかったが、ドンギュウのことは大きな影響を与えてくれた人物として、尊敬の念をずっと持ち続けて来た。その気持ちは在日のサッカー選手を応援していこうという思いに昇華していった。

 練習に来たハンジェに対しても、親身になってアドバイスを送った。「プレーは、ええときはえんじゃがな、悪いときの波がすご過ぎるんじゃ。そこを直せ」。グサリと刺さったが、自覚すべきこととして身に染みた。

 家庭環境も学校もずっと在日のコミュニティの中で生活してきたハンジェにとっては、サンフレッチェの練習参加は、初めての日本人社会への越境と言っても過言ではなかった。当時をこう振り返る。

「恥ずかしい話、どこかで日本人は敵だっていう気持ちの中で、それまで僕は生きてきたので、初めて練習で上村(健一)さんに『俺も在日の人にお世話になってるんだ。自由にやっていいから、お前の力を全部出せ』と言われて、すごくありがたかったです。

 入団するきっかけになったのも上村さんです。紅白戦でゴール前のFKになったときに『自信があるんだろう? 蹴れ』と言ってもらえたんです。決める自信はあったので、蹴りたいとは思っていましたが、それを言い出せなかった。今の本田圭佑なら言ったかもしれませんが(笑)。僕はそこまで図太くなかった。そうしたら。上村さんが『蹴れ。遠慮するな』『はい』。そして、ゴールを決めて入団まで至ったんです。

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