【育将・今西和男】久保竜彦「S級より、小学生にサッカーの楽しさを伝えたい」 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 一度は戦力外とした選手に対し、会社のトップは今、必要なのはディフェンダーじゃないのかと渋い顔をしたが、守備の選手はシステムに馴染むのに時間がかかることを説明し、2001年7月までの半年契約でねじ込んだ。入団後も大木の苦闘は続いたが、6月20日ナビスコカップのFC東京戦、まさにもうあとのない崖っぷちから這い上がった。スコアは1対1で味方が退場者を出した劣勢の延長から出場。ここで結果を出せなければ、解雇は決まっていた。延長後半5分、盟友の久保からのパスに身体が自然に反応した。受けると即座に返し、そのまま前方への爆発的なダッシュを敢行した。久保はダイレクトパスで、これに応える。大木は織り込み済みだったそのボールを落ち着かせて、DFを1人かわすとそのままゴールにぶち込んだ。

「どうする?」「行け!」「よし、出せ!」

 話し方教室では身じろぎもせず、まったく無言だった2人のこれ以上ない雄弁なボールの会話であった。大木はこの決勝点で残留が決まり、久保、藤本(主税)らと攻撃を担う貴重な戦力となった。2007年には故郷の愛媛FCに移籍して、2012年までJリーグで現役を務める。あのときに広島に戻っていなければ、その後の人生はまったく変わったものになっていたであろう。

 高校時代にまったく無名であった久保は、1998年10月28日のエジプト戦でA代表に初招集されると、翌年も1試合、2000年には5試合に出場して着実に実績を重ねていく。トルシエもジーコも何より対戦した相手国の監督が、そのポテンシャルの高さを評価していた。しかし、久保本人にとって代表は決して居心地の良いものではなかった。

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