【育将・今西和男】逸材・久保竜彦のために早婚を薦め、酒を控えさせた (2ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 それでも類まれなポテンシャルの高さは感じることが出来た。インターハイにも選手権にも出場はしておらず、全国的には全く無名の選手であったが、今西は野育ちゆえの久保の素材の確かさを認めていた。後に「日本人離れした」と必ず形容される身体能力の高さはすでに備わっていたのである。
 
 久保はサンフレッチェ入団と同時に、マツダの社員寮でもあった小磯寮に入る。冒頭の「無口たる」決意は、そのときになされたものである。今西は選手に対しての人間教育を重視し、特に若い選手に対してはサッカー馬鹿にならないようにとことあるごとに説き、さまざまな研修を施していた。新人には講師を派遣しての話し方教室を行ない、コミュニケーション能力を磨くことを義務付けた。しかし、久保はこれが嫌で嫌で仕方がなかった。

「先生が来て何か言われるんですけど、俺は福岡の南の田舎で訛ってるし、もうしゃべるのはやめておこうと。そんときも寝てるか、行かないか、どっちかでした。話し方の授業に行かないと叱られるんですけど、やっぱり行かなかった」

 純朴な久保は孤独だった。寮では一切、誰とも口を利かなかったし、加えて食堂で供給される食事が合わなかった。自他ともに認める偏食家でもある男は、コンビニの弁当や惣菜パンばかり食べていた。これから身体を作るアスリートの食生活がこれではお話にならない。

 現状を知った今西は寮の横にある旧知の居酒屋「うみ」のおばちゃんに頼み込んだ。「うみ」は今西が現役を引退した直後から馴染みにしていた海鮮料理の料理屋であったが、店主が亡くなっていたこともあり、すでに店を閉めていた。そこを何とかして欲しいと頭を下げて、久保のために特別な食事を作ってくれるように取り計らった。「うみ」は元々日本代表にも選出された東洋工業のDF川野淳次が「すごく旨い魚を食わせる店がある」と言って、サッカー部に広めた店である。賄い料理も新鮮な海の幸がふんだんに使われており、久保は口にしてすぐに気に入った。「これ、九州の味に似とる。めちゃくちゃ旨い」。「うみ」の明かりが点いているので、勘違いした一般客が「復活したん?」と店に入ってくることもあったが、おばちゃんは「いや、久保くんは身内やからよ」と断り、特別に扱ってくれた。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る