【育将・今西和男】高木琢也「ナチュラルに選手の気持ちがわかる人」 (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko

 表彰式の後で慣れないスタッフが手を滑らせてチェアマン杯を割ってしまったのはご愛嬌だが、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)、横浜マリノスとういう神奈川の2強時代が続くかと思われていた時代に、バジェットの少ない広島のチームが優勝したことは、Jリーグの原点を再注視する意味でも画期的であった。

 同じくスポニチの紙面に高木はこんな手記を寄せている。

「優勝が決まった瞬間、今西総監督を無意識のうちに探していた。ポイチ(森保)たちが飛びついてくる。嬉しさがこみ上げてくるが、涙は出ない。九二年に宿敵・韓国を破り得点王になったダイナスティ杯、続く秋のアジア杯決勝で決勝ゴールを決めた時も、ただただうれしかっただけ。次のバネとするために『泣くなら悔しい時』と決めていたからだ。でも、今西さんの姿を見つけた途端、胸の中がカーッと熱くなり、姿が滲(にじ)んでいった。今西さんはボクを拾ってくれた恩人でもある。そして誰よりも優勝を望んでいた人。その今西さんのためにも勝てた……。感謝の気持ちとともに胸の中がいっぱいになった」。恩返しができたと思えた瞬間、涙がとめどなくあふれた。

 今、高木はすでに4つ目のクラブを指揮する監督となっている。S級ライセンスを取得しても飽和状態ゆえに、その仕事に就ける者はわずかという現状の中、評価の高い証左であろう。故郷長崎ではタクシーやホテルのフロント、至るところで期待の声を聞いた。

 ここで筆者が指導者としてのポテンシャルの高さを感じさせれられたエピソードをひとつ披露したい。それはあのドーハの悲劇の瞬間である。90分20秒を経過したアディショナルタイム、このワンプレーをしのげばアメリカW杯出場が決まるとなったイラクのCKからオムラム・サルマンのヘディングシュートが放たれた瞬間、高木はベンチにいた。

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