【育将・今西和男】 被爆の後遺症を乗り越えて、日本代表選手に (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

「だから、私はサッカーに感謝して恩返しをしたいのです」

 サンフレッチェ広島で今西と共に人材育成教育にあたり、数多くの選手を育ててきた人材育成会社ヒューマックスの木村孝代表は今西の生き方を見て言う。

「今西さんは本当に選手や後輩のために献身的に尽力されてきた。いろいろな人材担当の方と仕事をして来ましたが、無私の精神の度合いが違うんです。生きる目的がすごくしっかりしているのは、被爆体験をされているからではないか。常に死と生を考えて向き合ってきた原体験が大きいと思うのです」

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【profile】
今西和男(いまにし・かずお)

1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締 役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格 に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、 同校サッカー部総監督を務める

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