【育将・今西和男】「恩返ししなければ」 高木琢也が決意した理由

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko

 関西学生リーグでは知られた存在であったが、社会人でサッカーを続ける自信もなく、4年のシーズンを最後に引退するつもりであった高木にすれば、晴天の霹靂であった。名門マツダの総監督がわざわざ長崎の田舎まで会いに来てくれるというので、ガチガチに緊張した。今西と自宅の居間で向かい合ったときの具体的な会話の内容はよく覚えていないが、強烈な広島弁が強く印象に残った。と同時に自分は上のカテゴリーでもやっていけるんだという大きな自信に繋がった。

 当時の大商大の監督は、大学サッカー界の名伯楽として知られた上田亮三郎。今西が東京教育大学(現筑波大)に入学した際の最上級生で、幡ヶ谷の下宿に居候させて可愛がってくれて以来、強い信頼で結ばれていた。

 上田は早い段階から今西に「高木は身体がデカいから奥手なんや。技術はまだまだやが、あいつは必ず伸びよる」と伝えていた。実際に上田は新入生の頃から辛抱強く高木を起用し続け、この3年時には関西学生リーグの得点王に育て上げた。

 今西もまた、そのプレーを注視し続けてきた。打点の高いヘディングはもはや他を圧しているし、前線でチームのために身体を張るひたむきな性格も成長を期待させる。大商大OBの河内コーチから「良くなっている」という報告も受けている。どの日本リーグのチームよりも先んじて、獲得の意思を示したのである。

 案の定、4年になってポテンシャルをさらに開花させた高木に周囲は高い評価を与えた。多くのチームからのオファーが殺到した。高木は悩んだ末、フジタへ進むことを決めた。真っ先に駆けつけてくれた今西の熱意と誠意には心から感謝していたが、当時マツダが2部リーグにいたことがネックになった。

 筋を通す意味で直接会って報告と侘びを述べた。「すみません。自分はフジタに行こうと思います。せっかく誘っていただいたのに申し訳ありません」「そうか、残念だが仕方がない。がんばれよ」

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