福田正博が考察。香川真司の不調の原因と、復活への手がかり (2ページ目)

 香川にとって痛手だったのが、2013-2014シーズンまでドルトムントにいたFWレバンドフスキーがバイエルンに移籍したことだろう。彼がいなくなったことで、クロップ監督のサッカーがうまく機能しなくなった。それまでのドルトムントは、前線でプレッシングをしてボールを奪った後、レバンドフスキーが前線で起点となって、2列目のMFが攻め上がる時間を作ることができていた。つまり、レバンドフスキーが攻撃の中核を担っていたということだ。その選手がチームを去ったために、FWを追い越してゴールに迫るという香川の持ち味も発揮されにくかった。

 ただ、そうした点を差し引いても、香川ほどの選手でも、失った自信を取り戻すことは非常に難しいということをあらためて感じた。それは、香川が子どもの頃から常に国内で世代のトップに立つ選手だったことと無関係ではないだろう。

 たとえば、本田圭佑は中学時代にガンバ大阪のユースに昇格できない経験をしており、長友佑都は明治大学時代にベンチにも入れず、応援役としてスタンドで太鼓を叩いていた。長谷部誠は藤枝東高から浦和レッズに入団した当初、ほとんど期待されていない存在で、レギュラークラスの選手ではなかった。つまり、この3選手は若い頃に挫折を味わい、その壁を乗り越えた経験を持っている。そのため、ヨーロッパでプレーするようになっても、自分を見失わずに新しい環境で積極的にセルフ・プロモーションをし、プレー機会を手にしてきた。

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