湘南・山田直輝の決断「浦和から出ることは悩まなかった」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text&photo by Asada Masaki

 こうして将来を嘱望されてきた山田だったが、2012年に左ヒザ前十字じん帯損傷の重傷を負ったのをはじめ、ここ数年は度重なるケガに苦しめられてきた。昨季も戦列復帰こそしたものの、長期ブランクの影響は大きく、ベンチを温める試合が続いた。昨季J1での出場機会は、途中出場による2試合のみ。時間にしてわずか15分間にとどまった。

 昨季を振り返り、「今までのサッカー人生で一番辛い1年だった」と山田。「サッカーをしていても楽しくない。そんな気持ちになってしまっていたこともあった」と語る。

「実戦でのコンディションとか試合勘というのは、練習で取り戻すのが難しい。ケガが治っても出場のチャンスがなく、正直、『試合に出してもらえればやれるのに』という気持ちもあって、自分の中ではずっとモヤモヤしているものがありました」

 そんな山田は、まだ24歳。周囲には復活を期待する声が多く、誰より山田自身がそれを望んでいた。はたして、山田は移籍を決断する。

 山田にとって浦和は「小さい頃はサポーターとして応援していて、選手としても中学の頃から(育成組織で)お世話になってきた」クラブである。そこを離れることは難しい決断だったのではないか、と想像する。

 しかし山田は、「どこのチームに行くかは悩みましたが、(浦和を)出ることに関しては、そんなに悩まなかった」と話し、きっぱりとこう言い切る。

「僕は、浦和レッズの選手である前に、サッカー選手なので。試合に出ていなければ意味がないと思いました」

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