三冠監督・長谷川健太「最初はゾーンプレスさえ知らなかった」 (3ページ目)

  • 佐藤 俊●文 text by Sato Shun
  • 山添敏央●撮影 photo by Yamazoe Toshio

 長谷川監督が行なう練習は独特で、その練習量は緻密に計算されている。ベースになっているのは、オランダの指導者レイモンド・フェルハイエン氏が提唱する「サッカーのピリオダイゼーション()」という理論。それに、自らのアレンジを加えて実践している。その指導法にはブレがなく、指揮を執る姿からも独特の哲学が感じられる。
※ピリオダイゼーション=期分け。年間のトレーニングをいくつかの段階に分けて行なうこと。

「監督をするうえで大事にしていることは、“自分らしく”ということです。着飾って大げさな態度で選手と接しても何も伝わらないし、(その指導は)薄っぺらなものになってしまう。自分らしく指揮を執り、自分らしく戦って、それで勝てなければ悔いはないじゃないですか。昔からこんな感じなので、特に影響を受けた監督とかもいないですね。実際、S級ライセンスを取ったときも、誰かの下で帝王学を学んだ、ということもない。練習も、指導方法も、すべて独学です」

 34歳で現役を引退した長谷川監督は、すぐに浜松大学サッカー部(静岡県)の監督に就任した。コーチ経験もなく、自分なりの指導方法も、練習メニューも持っていなかった。まさに「ゼロからのスタート」だったという。

「(指導者としての)最初は酷かった。戦術なんて知らないし、ゾーンプレス()がどういうものなのかもわからなかった。それで、あらゆる戦術のサッカーの映像を見て、勉強をして、『そうか、こういうことかぁ』って、理解していった。その繰り返しでしたね。指導することについても、最初は細かいことを積み重ねていかないといけないと思っていたんです。だから、学生がサイドキックを蹴れないと、その練習ばかりしていた。それができるまでどのくらいかかるんだっていう感じで、チーム作りは一向に進まなかった。でも、それから2カ月くらい経過したときでした。『これは、逆だな。戦術からチーム作りを始めて、そこから細かいことを落とし込んでいかないとダメだな』と気づいたんです。そんなふうに、いろいろと失敗を繰り返しながら、自分のやり方が徐々に築かれてきた。あの、ゼロという状態から学生と一緒にやってきた5年間が、今の自分を作ってくれたんです」
※ゾーンディフェンスとプレッシングを、全体をコンパクトに保ちながら実践して攻撃を仕掛けていく戦術。1980年代から1990年代にかけて、セリエAのミランやイタリア代表などを率いて活躍したイタリアの名将アリゴ・サッキが完成させたと言われる。その後、世界的な戦術のひとつとなり、日本ではJリーグの横浜フリューゲルスの指揮官を務めた(1991年~1994年)加茂周監督が採用した。「ゾーンプレス」とは同監督が名づけた造語とされる。

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