【特別寄稿】サッカーJ2、FC岐阜・恩田社長の決意と覚悟

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 正月、奇妙なことがあった。自身も2児の父である恩田は無類の子ども好きである。例年通り帰省をした実家で甥っ子とジャンケンをしていたときだ。なぜかどうしてもチョキが出せない。右手の人差し指と中指が伸びないのだ。箸を持つ力も弱い。「おかしいな」と首を傾げた。

 2014年の松が取れると藤沢は真意を伝えて来た。「JトラストからFC岐阜に社長を出そうと思う。お前は岐阜出身だし、エンターテイメント、アミューズメントの畑で実績を上げて来た。スポーツもエンタメの一つだ。興味があると言っていたが、どうだ、社長をやる気あるか?」。恩田は即答した。「あります。やらせて下さい」

 思わぬ福音だった。一緒にディズニーシーに行った彼女は妻となっていたが、同じく県内の大垣市の出身で、いつかは夫婦で岐阜に帰りたいと思っていた。とはいえ、定年までは仕事もないだろうと諦観していたのだ。ビジネスにおいても、それまで役員はやっていたが、代表取締役は初めてである。これがクリアできれば、どこに行っても胸を張れるひとりの経営者になれるのではないか。恩田らしい前向きな気持ちが挑戦を決意させた。

「故郷の岐阜のために仕事ができることが何よりうれしいです。しかも1万人レベルのお客さんにありがとうと言ってもらえる機会がある。ぜひ行かせて下さい」。

 藤沢はうなずいた。「そうか。まずは会社に入れ。しかし社長として社員の人たちに認められるかどうかはお前の働き次第だ。だから最初から社長で来たとは言うなよ。」

「分かりました」。社長の確約は無いが、行く以上は中途半端な出向という立場では嫌だったので、退路を断つ意味でJトラストを退社した。

(つづく)

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