現役引退の藤本主税。最終戦を前に起こした『事件』 (4ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 松岡健三郎/アフロ●写真

 10歳になる息子に引退を告げたのは9月のことだった。“男は裸の付き合い”と少し張り切り、風呂場で話を打ち明けた。息子はただ黙って話を聞いてから言った。

「パパ、頑張って!」

 そう笑って、背中をパチンとはたかれた。父はそれで励まされた気分になったが、妻に聞いたら「パパ、本当にサッカー辞めちゃうの?」と、息子も実は心配げだったという。

<このままじゃ終われん>

 藤本は最後に執念を燃やした。自分の力でピッチに立つことで、サッカー選手という職業を全うしたかった。その姿を見せなければならない。募る思いは空回りし、ホームでの最終節を前に紅白戦では北嶋とすら激しくぶつかった。レフェリー役をやっていた北嶋に対し、藤本が怒号を飛ばしたのだ。

「おまえのファウルを取らない美学なんてどうでもええんじゃ! 笛を吹けや、ぼけ!」

 藤本が相手選手のハードなディフェンスでボールを失い、失点を喫した後だった。二人は睨み合っている。

「自分の練習中のテンションは、“いっちゃって”いましたね」と藤本はばつの悪そうな表情を浮かべる。

「なんとしても試合に出るアピールしたい、という気持ちが強かったんです。元々が負けず嫌いというのはあるんですけどね。絶対やったらあかんことなんです。キタジ(北嶋)が『ホーム最終節はどうにか出て欲しい』と努力してくれてるのも知っていましたし。だから、もう合わせる顔がなくて」

 実は北嶋はこの“事件”のあと、引き上げてくるときに泣きべそをかいていた。「この一件が主税さんからプレイする機会を奪ったら、一生後悔する」と。コーチが練習で涙を流している光景は尋常ではない。それを見かけた小野剛監督が目を白黒させたほどだったという。

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