現役引退の藤本主税。最終戦を前に起こした『事件』 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 松岡健三郎/アフロ●写真

 藤本はその後、フロントにも自分の意向を伝えている。しかし、こうも付け加えた。

「監督にだけは絶対に言わんでください」

 気を遣われたくはなかった。それだけは闘争してきた男には許せなかった。憐れみでピッチに立つような屈辱には耐えられない。彼は最後の最後まで選手であり続けようとした。それが戦い続けてきた者の意地だった。

「でも、そこからの数ヵ月は苦しかったですね」と藤本は明かす。

「あと何回練習すれば、引退発表できるかなって指折りですよ。自分はプライドは高いんで、メンバーに入らないのもつらいんですけど……。やばいな、と思ったのは、1対1の練習で若手とかに負けて、“へいへい”とか冷やかされると、すごくバカにされている気分になってしまって……被害妄想ですよね。正直、1対1で勝てないな、という感覚が大きくなっていました。昔はそこが長所だったのに、相手と対峙すると取られるイメージしかなくて。そんな自分も嫌になりましたね。明日にでも引退を発表して楽になりたいって。練習なんかに行かず、どこかに隠れていたかった。毎朝、練習場に向かうのが嫌でした」

 彼はそこまで言ってからこう続けるのだ。

「でもね、練習でボールを蹴り始めると楽しんですよ。スイッチが入るというか。キタジに『主税さんはやっぱりサッカー小僧っすね!』とか言われると嬉しくてね」

 ボールに触れたら、体は勝手に反応した。切なくなるほど、彼はサッカー選手だった。それは身についた習慣なのだ。

「家族の存在には救われましたね。正直、これまでは“子どもが生まれるとパワーになる”という感覚がぴんと来なかったんです。昔は“(子どもが)やかましいからお茶してから帰ろう”みたいなことも思っていたくらいで(笑)。でも、今は家に子どもらと一緒にいると何気ないことで笑えて、気持ちがめちゃ楽になって。子どもがいるのはこんなにありがたいことなんだな、と感じられた1年でした」

3 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る