出場機会0。ブラジルでの現実を受け止めた齋藤学 (4ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by JMPA

「現代サッカーは、リトリートしてゾーンディフェンスを敷く場合が多いんですが、学はそのゾーンの継ぎ目を突く能力が高い」

 マリノスの右サイドバックとしてJリーグ有数の守備センスを誇る小林祐三は、チームメイトである齋藤について解説する。

「学は技術もスピードもあるし、リズム感もいい。足が速いという感じではないのに抜けるのは、一瞬、止まれるから。その緩急の変化は数字には表れないスピードがある。だから、いい状態でボールを持たせてあげれば、継ぎ目に侵入していける。去年のキャンプでずっと1対1を居残りでやっていましたが、これは試合でもやられていた、という瞬間がありましたね。あいつは簡単には止められない。オフ・ザ・ボールの動きはまだ改善の余地があるけど、同じ仕掛けるタイプで、対等のライバルと呼べる選手は日本にいないはずです」

 齋藤は若くして注目される才能だった。名門の横浜F・マリノスの下部組織に所属し、プライマリー、ジュニアユース、ユースと難なく昇格。日本サッカー協会主導の「エリートプログラム」一期生で、2006年AFCU-17選手権ではこの年代初となるアジア制覇を果たした。U‐17ワールドカップ2007にも同じ代表の柿谷曜一朗らとともに出場し、世界に足跡を刻んでいる。

 08年には高3にしてマリノスでトップデビューを飾った。高校生ながら、なんと7試合に出場している。

 端からは順風満帆に見えたが、本人はプロの分厚い壁に当たっていたという。

「高3まではとにかくイケイケでやってきていたんですけどね。プロの怖さを知ったというか」

 齋藤は回顧する。

「1年目、川崎戦でした。試合途中から入ることになったんです。どういう経緯だったか、いっぱいいっぱいだったんで覚えていないんですが、ボランチに入ったんですよ。今だったら、もう少し落ち着いてプレイできるんでしょうけど、慣れていないポジションだったこともあり、混乱して。中盤でボールを失い、中村憲剛さんからジュニーニョ、というカウンターの起点を作ってしまいました。ロッカールームに戻ったら、先輩たちからひどく叱られましたね。

 ちょっとしたミスで、チームにここまで迷惑をかけてしまうんだなと落ち込みました。それ以来、交代で入るのは怖くなりました(苦笑)。試合メンバーに入っていて移動バスが渋滞にはまったりすると、“ああ、今日はもう到着しなくていいのにな”なんて座席で思っていたこともあります。今では考えられないことですが、プロの試合にびびっていましたね」

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