W杯直前。サッカーを取り巻くメディアはどうあるべきか (2ページ目)

  • photo by Getty Images

 いいものはいい、悪いものは悪い。その選手の人間性がどうこうではない。そのプレーがどうだったかの問題だ。過去に何をしたかではなくて、その試合のそのプレーが良かったか悪かったかの評価をきちんとしなくてはいけない。

「彼はこのチームに今まですごく貢献したのだから、あのぐらいのミスで悪く言うことはできない」というようなことをメディアが言っているとしたら、少し問題ではないかと思う。現場のコーチや監督の会見でのコメントとしては、それでいいだろう。ミスをした選手を擁護するのは当然のことだ。

 だがメディアは、プレーが良かったかどうか、その試合の出来が良かったか悪かったか、そこをしっかりと評価していくべきだ。それが、選手を育てていくことにつながる。しっかり批評することが必要だ。

 選手はミーティングでミスを指摘されると嫌がるものだが、とくに日本人選手はそれが強い印象がある。つまり、自分のミスを受け入れない。「なんだよ、俺が全部悪いのか」とか、「それは犯人捜しだ」と思って、その指摘を受け入れられない。

 だが、ミスからいろんなことを学んで、次にミスをしないようにしていくためにも、ミスをした選手には、はっきり言う必要がある。それが重要だと私は思っている。そこを指摘しないであいまいにし続けていると、どうなるか。その選手はまた同じミスをする。

 また、プロの選手なのだから、批判されても称賛されても記事にならなかったら意味がない。選手たちもそれを受け入れるべきだろう。評価されているうちが花ということを忘れてはいけない。無視されたら終わりだ。それはプロとしての価値がないということになる。

 たとえば、本田はミランでのプレーがいまひとつでイタリアのメディアに批判されていたが、それはつまり、期待の裏返しということでもある。また、これだけ報道されるということは、本田がちょっとでも試合に出ているということでもある。ゲームに出ていないと批判も称賛もされない。

 つまり、低い採点だったとしても、点数がつくということは、試合に出てプレーをしたことの証明だ。そういうふうに選手も思わなければいけないし、受け入れなければいけないと思う。評価されたくない選手は試合に出なければいい。

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