川崎フロンターレに芽生えた、絶妙な「先輩・後輩の関係」

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi 松岡健三郎●撮影 photo by Matsuoka Kenzaburo

「ただボールに触っていただけで、前にパスを入れる意識が少なかったと思います。自分のところからサイドに展開するだけでなく、真ん中からも攻められたら、もっといいのかなと。前は見ているつもりなんですけど、出せないのは、本当は見えていないんだと思います。自分のところから前に出すことを意識していきたい」

ホームで1-0勝利も、不満を露わにした大久保ホームで1-0勝利も、不満を露わにした大久保 それは大久保の指摘を意識しての発言のようだった。

 厳しい要求をする先輩と、それに応えようとする後輩――。今の大久保と大島の関係を見ていて思い出されるのは、今から10年前、ジュニーニョと、川崎加入1、2年目の中村の関係だ。

 ジュニーニョは中村に対して「常に俺のことを見ろ」「俺の動きを絶対に見逃すな」「もっと早くパスを出せ」と厳しく言い続けていた。中村がジュニーニョへのパスを躊躇すると、「なんで出さないんだ」と詰め寄った。

 その後ジュニーニョは、当時のことを振り返って、こんなふうに言っていた。

「憲剛のことはよく怒ったよ。でもそれは、憲剛ならオレを生かすことができると思ったからなんだ。(当時チームメイトだった)アウグストとよく話したものさ、コイツは絶対に素晴らしい選手になるぞってね」

 中村もジュニーニョへの感謝を忘れていない。

「最初の頃はジュニの要求になんとか応えようと必死だったよね。縦パスを入れるタイミングや狙いどころはジュニの要求によって学んだもの。だから俺は、ジュニに育てられたと言っていい。今の自分があるのは、ジュニのおかげなんだよ」

 2004年秋、J2優勝が現実味を帯びた頃にはもう、中村がジュニーニョに怒られることはなかったという。ジュニーニョの高い要求に応えられるほど、中村が成長を遂げていたからだ。その後、中村が日本を代表するプレーメーカーへと駆け上がっていったのは、今さら詳しく触れるまでもないだろう。

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