小笠原満男が被災地で語る「サッカーと復興」 (2ページ目)

  • 佐野美樹●文 text&photo by Sano Miki

――今回、『東北人魂』のイベントだけでなく、岩手県沿岸の被災地を案内していただきました。そこで目の当たりにしたのは、「復興」とはまだまだ言えない景色でした。岩手県沿岸の南から北まで、ほとんどが厳しい状況であることに言葉が出ませんでした。

「瓦礫(がれき)がなくなっただけですからね。目に見える限り、『復興している』とは言えない。でも先日、ある市役所の(復興にかかわる)関係者とお会いする機会があって、復興作業についていろいろとお話をうかがったんです。そうしたら、やはりさまざまな問題があって、そんなに簡単に再開発というのは進むものではないらしくて。住民の方々の声をすべて拾わなければいけないですし。第一、慌てて町を作って『失敗しました』『また被災しました』では、元も子もないですからね。正直、時間がかかるのも仕方のないことなのかな、とも感じています。もちろん、できるだけ早く(町を)戻してほしいし、何とかしてもらいたい気持ちは強いんですけど......。今回、イベントに参加してくれた子どもたちの中にも、まだ仮設住宅から通っている子もいますからね。早く元のとおりになって、みんなが不自由のない生活に戻ってほしいって、すごく思っています」

――さて、『東北人魂』の年始イベントも今年で3回目を迎えました。この3年間、子どもたちとの触れ合いを大切にしながら、東北サッカー復興のために活動されてきて、今回改めて気づいたこと、感じたことなどはありましたか。

「実は今回、触れ合った子どもたちから『来てくれてありがとう』の言葉のあとに、『みなさんみたいなJリーガーを目指してがんばります!』って言われたんです。それを聞いたときは、すごくうれしかったですね。最初の頃は、目の前のことで精一杯で、先のことなんて考えられなかったと思うんです。それが、3年目になってようやく『Jリーガーになりたい』って、子どもたちが将来の夢や希望を語ってくれた。そういう声を何回か聞くことがあって、本当にうれしかったです。僕らの活動の主旨でもある、『東北からJリーガーをもっと輩出させたい』『僕らを追い越してくれる選手がこの活動の中から出てきてほしい』という思いが少しずつでも伝わってきたのかな、って」

今年のオフも、東北の各地で子どもたちと一緒にボールを蹴っていた小笠原。今年のオフも、東北の各地で子どもたちと一緒にボールを蹴っていた小笠原。――子どもたちの気持ちも次第に前向きになってきているんですね。

「震災直後は、サッカーができる場所なんて、ほとんどなかったですからね。子どもたちも当初は、(サッカーを)続けるのか、やめるのか、という感じだったと思うんです。それでも、時が経つに連れて『やっぱり(サッカーを)がんばる』ってことになって、今はさらにそこから、もう一歩前に進んでくれたのかなっていう気がしますね。しかも、僕らJリーガーが出向いて、僕らと触れ合うことによって、子どもたちがJリーガーを目指してもらえるようになったのかな、と思うと余計にうれしいですね。少しずつサッカーの環境も......本当に少しずつだけど、なんとか場所を見つけ出してサッカーをやれるようにもなってきているから、『Jリーガーを目指す』という子どもたちをはじめ、東北のみなさんには本当にがんばってほしいです」

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