香川、柿谷、南野...。若手を次々輩出する「セレッソの企業秘密」

  • 飯尾篤史●文 text by Iio Atsushi
  • 益田佑一●撮影(試合) photo by Masuda Yuichi

攻撃のアイデアを持ち
ピッチを俯瞰(ふかん)して見られる選手の獲得

 ハナサカクラブの設立と時を同じくして、トップチームにも改革がもたらされた。2度目のJ2を戦っていた2007年5月に強化部長に就任した梶野氏が振り返る。

「セレッソは、優勝争いをした翌年に降格するというミスを、2度も繰り返していた。ですから、J1に復帰することだけを考えていたら、またミスを犯しかねない。根本的に見直さなければダメだと思いました。それには、監督や選手が代わっても、絶対に変わらないクラブの哲学を作る必要があった。そこで、チームの売りとなる3本の柱を決めたんです。ひとつは、『攻撃サッカー』。これまでモリシ(森島寛晃)、西澤明訓、大久保嘉人の攻撃力を武器にしてきましたから、その色は継続して生かすべきだ、と。ふたつ目は、ちょうどハナサカクラブを設立したところだったので、『育成型クラブ』を目指すということ。そして3つ目は、2度とJ2に降格しない、絶対にタイトルを獲るという思いで『勝負にこだわるメンタリティー』。選手はもちろん、クラブとしてその構築を心掛けていこうと思いましたね」

 柱が決まれば、次はそれを実現できる監督の招聘だ。このとき、梶野氏の頭に浮かんだのが、1997年、自身がセレッソの現役時代に指導を受けたレヴィー・クルピ監督だった。

「すごく厳しく、勝負にこだわる監督で、年齢に関係なく、若手をためらわずに起用する一面もあった。だから、(セレッソの監督に)相応しいんじゃないかと思って連絡すると、こちらのプロジェクトに賛同してくれて、『ぜひ、やろう』と言ってくれたんです」

 2007年5月、2度目の来日を果たしたクルピ監督は当時、ボランチの控えだった18歳の香川真司を2列目のレギュラーに抜擢する。このコンバートによってアタッカーとしての才能が開花した香川は、中心選手へと成長を遂げていく。

 攻撃的なスタイルを確固たるものにするため、翌年には横浜F・マリノスで出番に恵まれていなかった乾貴士を獲得した。

クルピ監督を招聘し、チーム強化を図ってきた梶野智強化部長。クルピ監督を招聘し、チーム強化を図ってきた梶野智強化部長。「レヴィーは2列目がふた桁得点できれば、チームは必ず上位にいくと、彼らにすごく結果を求めていました。彼らも期待に応えたし、我々もレヴィーの求める『攻撃のアイデアのある選手』『俯瞰してピッチを見られる選手』に絞って、(獲得する選手を)リストアップしていったんです」

 香川と乾の2シャドーはその後、3シャドーに形を変えてセレッソの代名詞となり、家長昭博、清武弘嗣、キム・ボギョン、倉田秋、枝村匠馬、柿谷、山口、南野、楠神順平らがこのポジションを担っていく。欧州のクラブに選手を送り出し、その穴を才能あるアタッカーたちで次々と埋めていくサイクルは、セレッソの大きな特徴だ。

「プロである以上、ステージやお金にはこだわるべきだし、選手が(欧州に)行きたいと言うのを阻止するわけにもいかないですよね。それに、出て行く選手がいるから、次の選手にチャンスが回ってくるわけで、真司や乾、キヨ(清武)に刺激を受けて、若い選手はより成長していく。今は外から獲得するだけでなく、(山口)螢や(南野)拓実が2列目を務めているように、下部組織からの供給も追いついてきた。だから、選手の出入りはすごく戦略的に考えています」

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