【Jリーグ】J1初優勝を飾った、広島・森﨑和幸を苦しめてきた「病」

  • 原田大輔●文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 1度目よりも、2度目のほうが症状は重かった。回数を追うごとに酷くなるのが、自分でもわかっていただけに、和幸は苦しんだ。

「最初は小さなことから始まるのかもしれません。今日は(自分のプレイの)調子が良かったとか、今日は調子が良くなかったとか。でも、年齢を重ねれば重ねるほど、責任感が強くなってきて、若い頃は若手だからミスしても仕方がないやと思えていたことが、『なんでミスしてしまったんだ。なんで思い通りのプレイができないんだ』と責任を強く感じるようになっていくんです。そのことを考えているうちに、眠れなくなってしまう。最初はひとつだった不安が、気がつけば100個ぐらいになっていて、どんどん考え込んでしまうんです。たぶん寝てはいるんでしょうけど、自分では寝ているという感覚がまったくないんです。逆に寝なきゃ、寝なきゃって、それがまた焦りにもなって......」

 1度目のときは「辞めたい」だったが、2度目は「辞めよう」という気持ちに変わっていた。

「とにかく"サッカー選手"という看板を取り払いたかったんですよね。だからもう『きっぱり引退しよう』と思ったんです。妻には『クラブに辞めるって連絡していいか?』と何度も聞いていましたね」

 苦しむ和幸を救ったのは、妻の志乃さんだった。
「(和幸は)ずっと家で何もしない毎日を過ごしていて、私もこのままじゃダメだって思ったんです。何とかしたいと思って、無理矢理、練習場に連れて行くことにしたんです。サッカーを『辞めたい』という気持ちは変わらないかもしれないけど、やることがないなら練習場に行こうって」

 チームメイトに会うのが嫌だった和幸は、もちろん抵抗した。それでも、志乃さんは引き下がらなかった。ならば、チームの練習が始まる前の早朝ならいいだろうと、ある日、和幸を強引に車に乗せて練習場のある吉田サッカー公園へ向かった。それからは連日、その行動を繰り返した。

「チームの練習が始まる前だから、早朝の6時ですよ。僕は正直、きつかった。でも、強引に連れ出されて......」という和幸だったが、妻の献身的かつ懸命のアクションが、和幸の「心」に少しずつ変化をもたらした。

 吉田で練習するならば、ペトロヴィッチ監督にひと言挨拶しておきたいと思った和幸は、具合の悪い身体を奮い立たせて指揮官と会食し、その後、監督に誘われてシーズン後半に向けたチームの決起集会に顔を出した。そこで、チームメイトともコミュニケーションを図ると、自分を認めてくれる仲間がいることを知り、その温もりを感じた。和幸は練習に戻るきっかけを得て、サッカーへの意欲を取り戻していった。

 復帰までに4カ月も要したが、10月3日、第28節の清水エスパルス戦で彼は再びピッチに戻ってきたのだ。

「もう(慢性疲労症候群には)なりたくないから、その後はきちんと予防もしました。コンディション調整にも気を使いました。(主治医に)この病から逃れるにはリフレッシュしたほうがいいと言われたから、サッカーをやるときはやる、リフレッシュするときはする、といった努力もしていました」

 しかし、3度目はやってきた。

(つづく)

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