【Jリーグ】J1初優勝を飾った、広島・森﨑和幸を苦しめてきた「病」 (3ページ目)

  • 原田大輔●文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

「練習場に行くには行ったんですけど、トレーニングはしませんでした。その日がペトロヴィッチ監督との初対面で、クラブハウスの2階で話をしました。すると、『自分のしたいようにしてくれていいよ。練習に出たいなら出てくれればいいし、出たくないなら出なくていい。オレが監督であるうちは、カズ(和幸)にはその権利を特別に与えるから』と言われたんです。初めて会った人に、いきなりそんなことを言われたからビックリしましたね。ペトロヴィッチ監督は、実際に(自分の)プレイした姿なんて見てないし、映像で見ていたとしても、きっと調子の悪いときの映像だったと思う。それなのに、監督は僕のことを信頼してくれていたんです」

 ペトロヴィッチ監督の言葉をきっかけに、和幸の「心」は180度変わった。チームの指揮官が自分の現状をまるごと受け入れてくれ、絶大な信頼を置いてくれた。その安心感がどん底に沈んでいた彼の「心」を明るみに引き上げてくれたのだ。ちょっとしたことかもしれないが、周囲に受け入れられ、自分の存在価値を認められることが、彼の場合には回復への効果的な作用として働いたのだろう。

 眠れない日々が続き、無気力だった和幸は、それから練習場に足を運ぶようになった。2カ月近く身体を動かしていなかったが、ペトロヴィッチ監督の計らいもあって、練習に合流すると、7月には戦列復帰を果たした。

「(周囲には)軽い病にしか思われていなかったんですけど、妻や(弟の)浩司には『オレ、サッカー辞めたいな』と、こぼしたこともあったんです。何もやる気が起きず、まったく眠れないこともありましたから。その分、ピッチに戻れたときは本当にうれしかった。その年はストッパーとして出場していたんですけど、(自分が)復帰してからはチームも一気に降格圏を脱出して、自分にも自信を取り戻したんです。ペトロヴィッチ監督のサッカーは、自分がやりたかった、理想としているサッカーでもあった。だから、本当はボランチをやりたかったんですけど、『ストッパーでもチームに貢献しよう。ピッチに戻してくれた監督に恩返しをしよう』とがんばりましたね」

 だが、彼の「心」との戦いは、これで終わりではなかった。むしろ、そこからが始まりだった。

 翌2007年シーズン、サンフレッチェはJ2降格の憂き目にあったが、生え抜きの和幸は弟の浩司やエースの佐藤寿人らとともにチームに残留。2008年は彼らの活躍でぶっちぎりのJ2優勝を飾り、1年でJ1返り咲きを果たした。その間、志乃さんとも結婚し、長男も誕生した。そして2009年は、キャンプから調子が良く、J1復帰初戦となった開幕戦ではチームも快勝した。

「J2からJ1に戻って、同じようなサッカーができるかどうか不安と期待が入り交じっていたんですけど、開幕戦で勝利したことで、手応えを感じましたね。でも......」

 その後、試合を重ねる度に、和幸は自分のプレイに違和感を抱き始める。

「4月末に名古屋グランパス(第8節)と対戦したんですけど、そのときにはすでに頭が疲れているなって感じていたんですよ。『おかしいな』という感覚はあったのに、すぐには休まなくて......。ちょっとがんばってみようとは思ったんですけど......」

 再び、和幸を強い症状が襲う。5月9日、第11節のジェフ千葉戦を終えると、開幕から11試合フル出場だった和幸の姿は練習場から消えた。

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