【Jリーグ】J1初優勝を飾った、広島・森﨑和幸を苦しめてきた「病」

  • 原田大輔●文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 慢性疲労症候群――。原因不明の強度の疲労や倦怠感が長期間にわたって継続する病気とされている。微熱や悪寒であったり、ノドの痛みであったり、睡眠障害や思考力の低下であったり、その症状はさまざまあるという。酷い症状になると、日常生活もままならず、寝たきりのまま介護を必要とするケースさえある。症状を引き起こす原因が多種多様で、その究明が困難なため、専門医による治療が必要な「難病」と言われている。

 その"病"に、和幸は侵された。彼の場合は、それが精神面や「心」に大きく影響を与えた。他人にはいつもと変わらない様子に見えたが、気持ちが沈み込むと同時に、動けないほど強い疲労感を感じて、倦怠感に全身が包まれた。寝たくても眠れず、寝られたとしても本人にその意識はなかったという。運動すれば、すぐに息が上がり、頭の回転が鈍くなった。酷いときは、食事をとることすらできなくなったという。そして、その症状は、いつ襲ってくるのか本人にもわからず、その状態がさらに彼の「心」を圧迫した。

 和幸は今日まで、そうした自分自身の「心」と常に戦いながらプレイを続けてきた。

 初めてその兆候を感じたのは、2003年だった。そのときは、数日ほど練習を休むと疲労はなくなったという。その後は、チームがJ1に復帰した2004年も、翌2005年も症状が出ることはなく、和幸はシーズンを通してプレイした。だが、2006年シーズンが開幕してまもなく、これまで経験したことのない強い症状が、彼の「心」を襲った。

「サッカーがやりたくなくなったんですよ。(ピッチ上で)周りが見えなくなるんです。視力が悪いとかそういうことではないんですよね。パスを出そうにも、判断力が鈍くて、頭が疲れている感じがして、パスが出せなくなった。原因がわからぬまま、とにかく自分が思い描いているプレイができなくなってしまったんです」

 当時の指揮官・小野剛監督にその症状を告げると、「リフレッシュしてこい」と言われ、和幸は休みをもらった。その頃はまだ恋人だった妻の志乃さんはこう振り返る。

「最初はどこにも行ける状態ではなかったんですよね。家でゴロゴロしているだけで、ご飯もほとんど食べなかった。かといって、寝ているわけでもない。ほとんど動かないというか、動けないんですよ」

 それでは、治るものも治らない。しばらくして、志乃さんの誘いで旅行に行ったり、一緒に河川敷を軽く走ったり、なんとか身体を動かすことを試みた。しかし、「サッカーをやりたいという気持ちには、なかなかならなかったですね」と、和幸は当時を振り返る。

 和幸が休んでいる間に、不振に陥っていたチームは監督が交代。ドイツW杯による中断期間中に、新たにペトロヴィッチ監督(現・浦和レッズ)が招聘された。チーム関係者から連絡をもらうと、新監督の始動日には練習場へ顔を出すようにうながされた。

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