【JFL】日本サッカーを救った男・我那覇和樹のリスタート。「やりきる自信が出てきた」 (3ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kimura Yukihiko

 結果的に選手の人権と健康を守り、日本サッカーを救った男は、現役選手として故郷・沖縄で前を向き続けている。我那覇はCAS裁定以降、一切、事件については口を閉ざしてきた。後悔の言葉も、いわんや誰かを批判するようなことも微塵も言わない。選手としてピッチの上で支えてくれた人たちに恩返しをするという彼の意思を尊重し、この物書きはピッチの上の彼を伝えるものである。

――年明けのコンディションはどうですか。
「1月18日のチーム始動日に合わせてすぐに動けるようにトレーニングしてきました。学校に子どもを送ってそこで車を降りて走って帰ってくるとか。今、住んでいるところは実家まで7キロほど離れているんですが、(長男の)琉偉と一緒に走って来ました。母校の新年の初蹴りも行きましたよ。OBはあまり会えなかったんですが、先生と子どもたちには会えました。楽しかったです」

――去年は足首の故障もありましたが、久々にフルシーズン出続けました。
「そうですね。6試合休んだ以外はフルで久しぶりに出場できたので、感覚は戻ってきました。試合に出続けたことは大きかったですね。夏場は正直しんどいときもありましたが、あとは慣れてきました。(ヴィッセル)神戸時代はフィジカルも落ちていましたからね。練習試合と本番の試合はだいぶ感覚も違いますから。それはもちろん、僕の実力不足なんですが。JFLというカテゴリーで戦うことの難しさが分かってきたので、やりきる自信も出てきました。僕のサッカー人生の中で、ここのカテゴリーで戦えたというのは将来、絶対プラスになると思います。とにかく沖縄の場合、移動が飛行機しかないので、きつかったですね。長野は羽田からさらにバスで4時間とかかかりますから」

――琉球は経験の豊富な選手が多いので戦術が同じ方向に意思統一されると、はまると思うのですが、今年はそういった自身のスタイルのマイナーチェンジも考えていますか。
「(松田)監督がどういうサッカーをするかまだ分かりませんが、足元だけじゃなくて裏に抜けるプレイなんかも心がけていきたいですね。まずはゴール。自分が取れなくてもチームが勝つことが大事です。ただFWである以上、ゴール数だと思うんですね。貪欲に行きます。1試合の平均シュート数が少ないので1試合5本以上は打ちたいですね。これからは、少しはエゴを出していきます(笑)」

――環境的に厳しいJFLで1年をやり切ったところで自信も回復してきた。
「90分通してほぼ出られたので体力的にも良いし、コンディション的にも良いです。神戸時代も試合に出られないのは悔しかったですが、無駄な時間ではなかったです。学ぶところが多かったですから。FWじゃなくて、サイドハーフ、(2列目の)3枚の右、サイドアタッカーなんかをやらせてもらっていたので味方の心理が分かりました。サイドは前を向いてボールをもらえるので楽しかったですし、クロスの動き出しのタイミングとか、すごく勉強になりましたね」

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