サッカー日本代表がワールドカップで2度も涙しているPK戦の歴史 近年は熾烈な情報戦 (3ページ目)
【PK戦の採用】
PK戦方式の採用は同年のメキシコW杯には間に合わなかったが、幸いノックアウトステージで引き分けに終わった試合はなかった。イタリア対西ドイツの準決勝は終了直前に西ドイツが1対1の同点に追いついて延長戦に入ったが、点の取り合いの末4対3でイタリアが勝利した。
W杯でPK戦が採用されたのは1974年西ドイツW杯からだったが、この大会と4年後の1978年アルゼンチンW杯では1次リーグ、2次リーグ方式だったのでPK戦の可能性があったのは決勝と3位決定戦だけだ。そして、決勝戦では引き分けに終わった場合、再試合が行なわれることになっていた。
アルゼンチンW杯決勝はアルゼンチンとオランダの対戦となり、1対1で延長に入ることになった。すると、延長戦開始前に「再試合の場合、試合終了後にスタジアムで入場券を販売する」というアナウンスがあった。僕は現金をたくさん持ってきていなかったので「どうしたらいいだろうか?」と心配したのを覚えている(当時は、まだクレジットカードは普及していなかった)。
ちなみに、延長戦ではアルゼンチンが2ゴールを決めて優勝。史上初のW杯決勝の再試合は行なわれなかった。
第2次世界大戦後のW杯では、1978年大会まで幸運なことにノックアウトステージで引き分けに終わって抽選やPK戦が行なわれたことは1回もなかった。
大規模大会の決勝で初めてのPK戦は1976年の欧州選手権だった。決勝戦はチェコスロバキアにリードされていた西ドイツが終了間際に追いついて2対2の引き分けに終わった。そして、PK戦では西ドイツの4人目のウリ・ヘーネスが失敗。すると、チェコスロバキアの5人目アントニン・パネンカはGKのゼップ・マイヤーをあざ笑うようなチップキックを決め、それ以降PK戦でのチップキックは「パネンカ」と呼ばれることになった。
W杯史上初のPK戦は1982年スペインW杯の準決勝だった。この大会も1次、2次リーグが行なわれたのでPK戦の可能性があったのは準決勝以降の4試合だけだったが、最初の準決勝、西ドイツ対フランス戦がPK戦にもつれ込んだ。
この試合、1対1のまま延長戦に突入すると、フランスが98分までに2点を奪って誰もが「勝負あり」と思った。だが、どんな時でも諦めないのが西ドイツ(日本では、それを「ゲルマン魂」と呼んでいた)。カールハインツ・ルンメニゲとクラウス・フィッシャーのゴールで追いついた西ドイツは、PK戦で勝利して決勝進出を決めた。
このドラマティックな準決勝。僕はセビージャのサンチェス・ピスフアンのゴール裏で観戦していたので、歴史的なPK戦をまさに目の前で見ることができた。
その後、PK戦決着は増加していく。
1994年アメリカW杯決勝のブラジル対イタリア戦はスコアレスドローに終わり、決勝戦史上初のPK戦ではイタリアの攻守の要、フランコ・バレージとロベルト・バッジョが失敗してブラジルが優勝。
2006年のドイツW杯、そして2022年カタールW杯でも決勝戦は引き分けに終わり、PK戦の末にイタリア、アルゼンチンが優勝を決めている。とくにカタールW杯ではノックアウトステージの16試合中、決勝戦を含む5試合がPK戦決着となった。
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