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サッカー日本代表がワールドカップで2度も涙しているPK戦の歴史 近年は熾烈な情報戦 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【抽選で勝者を決めていたことも】

 1920年代にはCKの数で勝敗を決める大会もあったし、1950年代にはたとえばコッパ・イタリアなど各国の国内大会や小規模の国際大会でPK戦が行なわれたこともあったようだが、大規模大会では抽選で「勝者」を決めていた。

 1956年のメルボルン五輪予選で日本は韓国と対戦。第1戦は2対0で日本が先勝したが、第2戦では同スコアで韓国が勝利。30分の延長でも決着がつかなかったのでピッチ上で抽選が行なわれ、日本の竹腰重丸監督が「ビクトリー」と書かれた紙の入った封筒を引き当てた。しかし、武士道精神を持つ竹腰監督は「ビクトリー」の文字を見ても表情ひとつ変えなかったので、選手も観客も勝ったことがわからなかったという。

 1968年の欧州選手権(ユーロ)準決勝では開催国イタリアとソビエト連邦がスコアレスドローに終わり、抽選の結果イタリアが決勝進出を決めた。ちなみに、イタリアとユーゴスラビアとの決勝戦も1対1で引き分けに終わったが、決勝戦は再試合が行なわれ、イタリアが勝利して優勝を遂げた。

 同じ1968年のメキシコ五輪でも抽選が行なわれた。イスラエルは準々決勝で強豪ブルガリアと引き分けたが、抽選で敗退してしまった。そこで、イスラエル協会の役員ヨセフ・ダガンがFIFAにPK戦の採用を提案。1970年の国際サッカー評議会(IFAB)でPK戦の採用が認められた。

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