4年後が期待された西野ジャパン「26歳以下」8人の明暗。なぜ彼らはカタールに届かなかったのか (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

最年少23歳で選出されるも...

 CBのタレント不足が指摘されていた当時、年齢的にも昌子が次の日本代表を背負って立つ存在だと思われていた。しかし、ACL優勝を置き土産に鹿島アントラーズからフランスに飛び立ったあたりが、ケチのつき始めだったかもしれない。

 移籍先のトゥールーズでは当初は主力として活躍しながら、翌シーズンに負傷に悩まされ、出番を失った。2020年に中学時代を過ごしたガンバ大阪に"復帰"するも、チームの低迷も相まって、その力を発揮できなかった。

 森保一監督率いる日本代表には2019年に3試合出場するも、以降はケガの影響でメンバーから遠ざかり、その間に冨安建洋(アーセナル)をはじめとする東京五輪世代のCBが台頭。2021年6月に代表復帰を果たすも、同月に行なわれたキルギス戦が森保ジャパンにおける最後の代表出場となった。

 同じCBの植田も、昌子とともに最終ラインを支える存在となるはずだった。ロシア大会での出場はなかったが、高さと強さ、スピードも兼ね備えた規格外のCBには大きな期待が寄せられたものだ。

 ロシア大会終了後にベルギーのクラブ(サークル・ブルージュ)に移籍した植田は、森保監督のチームにもコンスタントに招集されてきた。若手が主体だった2019年のコパ・アメリカでは3試合にフル出場している。しかし、そのポテンシャルはクラブと同様に代表でも開花されたとは言いがたく、ついには主軸となれずにカタールの地にはたどり着けなかった。

 ロシア大会では23歳と、最年少としてメンバー入りしていた中村も、この4年間で苦しんだひとり。ロシアでは植田と同様に出番はなかったが、当時川島が35歳、もうひとりのGK東口順昭(ガンバ大阪)が32歳であることを考えれば、4年後に守護神として日本のゴールマウスに立っていたとしてもおかしくはなかった。

 しかし、柏レイソルでハイパフォーマンスを続けていた中村は、ワールドカップ後のシーズンで負傷を強いられ離脱。J2で戦った2019年こそフル稼働するも、2020年には再びケガに悩まされ、なかなかピッチに立つことができなかった。

 ポルトガルのポルティモネンセに移籍後もチャンスを掴めず、ようやく今季(2022-23シーズン)に入って出場機会を増やしているが、アピールには遅かった。結局、森保体制下では2019年のE-1選手権の2試合出場に終わった。

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