羽生直剛の日本代表ベストゲーム。試合後「オシムさんが目を合わせて、うなずいてくれた」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Jinten Sawada/AFLO

 話はコロンビア戦から、さらに5年遡る。

 2002年のルーキーシーズン、羽生はJ1で23試合出場2ゴールの記録を残せたことに安堵感を覚えていた。プロ入り前の"刷り込み"を考えれば、無理もないことだっただろう。

 そんな折、千葉の新指揮官としてやってきたのが、イビチャ・オシム監督だった。

 旧ユーゴスラビア代表をワールドカップでベスト8進出へ導くなど、ヨーロッパで数々の実績を残してきた老将は、羽生に対し、こんな言葉を投げかけ続けたという。

 なぜおまえはこの程度で満足しているんだ。もっと上を見ろ――。

 羽生はもともと、「手を抜いたりすることが嫌い」な性格だった。そのうえ、おまえがプロになれるわけがないと散々刷り込まれてきた小兵は、裏を返せば、普通にやっていれば、すぐにクビになってしまう。そんな切迫した気持ちを常に抱えていたとも言える。

「一生懸命やって、オシムさんに認められたい、みたいなところがありました。一日、一日、全力でレベルを上げることだけは努力しましたし、危機感を持ちながら、それをエネルギーに変える選手だったと思っています」

 その結果が日本代表選出だった。

「結果的には、オシムさんが代表監督になったので、僕も代表選手になれた。ある意味、夢をかなえさせて"もらえちゃった"っていう感じでしたけどね」

 羽生が日本代表に初めて名を連ねたのは、2006年8月。オシム新監督が誕生して2試合目となる、アジアカップ予選のイエメン戦でのことだった。

「緊張感もありましたけど、何か不思議な感じというか、最初の試合はベンチスタートだったと思うんですけど、自分が代表の青いユニフォームを着て、満員のスタジアムで、国を代表して君が代を聞くみたいな気持ちは......、高揚感というか、そういうものを感じたのは覚えています」

 当時の日本代表でひとつの話題となったのが、オシム監督が課す練習メニューの難解さや複雑さである。戸惑いを見せる選手が多いなか、しかし、すでに千葉で存分に鍛えられていた羽生らにとって、それは当たり前の日常だった。

「やっている練習とか、練習が意図していることというのは、ジェフの時と変わりませんでした。だからこそ、僕ら(ジェフの選手)が入って練習の効率を高めるっていうことも含めての人選だったと思います。僕自身は、レベルの高い選手たちの足を引っ張らないようにという気持ちでやっていました」

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