水を運ぶ人・鈴木啓太が語るオシムのサッカー。「自分が試合に出る、出ないとは別次元の楽しみがあった」 (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO SPORT

 自分たちが一番無防備になるのは攻めている時。その時に相手の選手はどこにいて、何を考えているのか。『ケイタはそれをよく見て、そのなかで判断しなさい』っていうことは常に言われていました」

 結局、鈴木はA代表デビュー戦をスタートに、オシム監督時代の日本代表戦すべてに出場した唯一の選手となる。

 当時の鈴木が、選手としていかに充実していたかは、Jリーグを見てもよくわかる。

 日本代表での活躍と時を同じくして、2006、2007年と2年連続でJリーグベストイレブンに選出されている。所属する浦和レッズも2007年、Jクラブとして初めてのAFCチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げていた。

「自分で言うのも変ですけど(苦笑)、レッズでも、代表でも、チームに欠かさないほうがいい選手だったのかなと思います。試合を決定づける選手ではなかったですけど、こういう選手がいるとチームってうまく回るよね、みたいなところでの歯車のひとつになれていたなと思うので。

 僕はボランチってあまり目立たない試合のほうがいいと思うんですけど、自分のなかでもその確信が持てましたし、自分の役割をかなり理解してプレーできていたんじゃないかなと思います」

 しかし、鈴木はその後、思わぬ形で日本代表から遠ざかることになる。

 オシム監督が脳梗塞で倒れたという知らせが届いたのは、2007年11月のことだった。

 そのわずか1カ月前、日本代表は2007年最後の試合となる、エジプトとの親善試合を終えていた。4-1で勝利した一戦は、鈴木曰く「チームがすごくいい方向に進んでいるなって感じていた」試合となった。

「9月のオーストリア遠征ですごく手応えを感じて帰ってきて、そのエジプト戦でも、ヨーロッパ組はいなかったんですけど、(大久保)嘉人とか、(前田)遼一とか、自分と同世代の選手たちが一緒にピッチに立って、そのなかでもやるべきサッカーを変えずに戦えた。

 もちろん、オシムさんが目指しているところにはまだまだだったかもしれないですけど、チームが出来上がってきているなかに新しい選手が加わって、さらに上積みができている状態だったんです」

 2007年の締めくくりにいい試合ができた。翌2008年からは、いよいよワールドカップ予選が始まる――。その矢先だった。

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