オシムジャパン全試合に出場した鈴木啓太。「自分の新たな扉が開いた」という代表ベストゲーム (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

 2006年ワールドカップ・ドイツ大会でグループリーグ敗退に終わった日本代表は、4年後の巻き返しを期し、新たな指揮官にイビチャ・オシム監督を迎えていた。その新体制初戦が、トリニダード・トバゴ戦だった。

 しかし、同時期に開かれたA3チャンピオンシップ(当時行なわれていたクラブチームによる東アジア選手権)との兼ね合いで、ガンバ大阪とジェフユナイテッド千葉からは選手を招集することができず、メンバー選びが難航。まずは13人が発表され、のちに5人が追加発表されるという異例の形で、この試合に臨む18人の日本代表メンバーは招集された。

 先に発表された13人には、鈴木が所属する浦和レッズから6人が選ばれていたが、そこに鈴木は含まれていない。

「当時のパフォーマンスには、自分自身として手応えはあるものの、まだ代表レベルに達しているとは思っていなかった。(田中マルクス)闘莉王、(田中)達也、長谷部(誠)とか、同世代のメンバーが選ばれていたので、ちょっと悔しい思いはありながらも、自分はまだまだだと思っていました」

 そう述懐する鈴木は、だからこそ、追加の5人のなかに選ばれたことを聞き、「すごくビックリした」というが、「自分たちがここから新しい日本代表を作っていきたいっていう思いはありました」。

 新たにスタートしたチームには同世代の選手が多く、初参加となったA代表キャンプも「さほど緊張感はなく、チームにも入りやすかったです」。

 だが、7色のビブスを使った難解なメニューなどで話題となった"オシム流"のトレーニングはというと、「いや、もう......、最初は本当にわけがわからなかったですから(苦笑)」と 、戸惑うことばかりだった。

「自分たちでも、最初は『本当にこれで練習ができているのかな?』っていう不安はありました」

 しかし、だからといって、いつまでもあたふたと戸惑うばかりの鈴木ではなかった。

「僕がプレーヤーとして常に考えていたことは、監督の意図は何か、ということ。誰が監督の時でもそうでしたが、監督が意図していることを正確に表現するっていうことが、僕の一番の強みだったのかなと思います。

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