トルシエが幾度となく悔やんだトルコ戦。「指揮官は私ではなく、オシムのほうが適任だったかもしれない」 (2ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by Press Association/AFLO

「すべては葛城北の丸で始まった」とトルシエは言う。

「4年間の仕事の蓄積が我々にはある。練習を積み重ね、親善試合を繰り返してきた。いい結果もあれば、悪い結果もあり、レアル・マドリードには敗れ、ノルウェーにも敗れた。だがそれは、私に23人を選ぶ最後の機会を与えてくれた。ノルウェーに負けていなければ、グループは違うものになっていただろう。

 敗北のなかに、次の勝利への要因が含まれている。敗北は成功の一部だ。敗北がなければ何も修正できない。勝利は人を盲目にし、客観的にもなれない。人は敗れた時に、何が悪かったかを明らかにしようとする。

 1月から5月までの準備――ウクライナに始まり、ポーランド、コスタリカ、スロバキア、ホンジュラスとの対戦のすべてが、チームの修正のために役に立った。経験を積むこともできた。敗戦もまた経験であるからだ。

 もしすべてに勝っていたら、我々はあのようなチームにはならなかっただろう。何か大きな欠陥を残したままだったはずだ。だから、秋田豊、中山雅史とともに葛城北の丸に力強く第一歩を踏み入れた時、私は監督として最高の幸せを感じた。自信と落ち着きに溢れていた」

 トルシエの言葉どおり、日本は初戦でベルギーに引き分けたあと、ロシアとチュニジアを破り、グループリーグを1位で突破した。

トルシエは2002年日韓W杯で「私が最も満足したのは、戸田と稲本だった」と語るトルシエは2002年日韓W杯で「私が最も満足したのは、戸田と稲本だった」と語るこの記事に関連する写真を見る 日本代表というグループには勢いとエネルギーがあった。個々の選手のパフォーマンスについて、トルシエは次のように語っている。

「私がとてもいいと思ったのは、戸田(和幸)と稲本(潤一)だ。ふたりは私の期待を大きく上回った。プレーへの影響という点ですばらしく、チームにプラスアルファをもたらした。稲本は深く(高い位置で)プレーし、得点も決めた。

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