中村憲剛と佐藤寿人がワールドカップに行けると思った時は?「タマーダのあとがマキじゃなくて...」

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

---- 岩井俊二監督が撮影されたんですよね。

中村 本当に裏側を見せてくれたので、めちゃくちゃ面白かったし、チーム作りという観点でとても勉強になりました。あのDVDを見て、ゴンさん(中山雅史)と秋田(豊)さんたちベテランがなぜこのチームに組み込まれたのか、というのがとてもわかりましたから。

佐藤 サプライズで入りましたからね。

中村 今でも映像で覚えているのは、最初に(宿舎の)北の丸の入り口で秋田さんとゴンさんが会って、「お互いに滑り込みセーフだな」って冗談っぽく言うんですよ。でもそのあとに、「俺らがやらないとダメだよ」って気合いを入れ合うシーンは、本当にしびれましたね。

---- そうした日本代表の試合や映像に触れるなかで、「次は俺が」という想いは生まれましたか?

中村 いや、まったくなかったです(笑)。その年の秋くらいにフロンターレに入ることは決まりましたけど、4年後もこの人たちが中心になってやっていくんだろうなと。若い選手が多かったですからね。そのなかに自分が入るなんてことは、考えもしなかったですよ。

佐藤 僕の場合はその年、プロ3年目でしたけど結果を出せていなかったので、プロとして生き残れるかどうかさえもわからない状況でした。だから、日本代表に入ってワールドカップを目指すなんて思ってもいませんでしたし、どうやってプロの世界で生き残れるかだけを考えていましたね。

---- 当時は高卒3年、大卒は2年で結果を出さないといけないと言われていましたからね。

佐藤 森島さん、西澤さん、ユンさんが代表に行ったので、ワールドカップ前は出場機会が増えたんですよ。そもそも、ワールドカップ期間中に選手が抜けることを見越して、セレッソは僕を獲得したと思うので。でも、そこで結果を出せず、ワールドカップが終わって3人が帰ってきてからは、ピッチに立つどころかベンチにも入れなくなりました。だから、あの時は先を見る余裕はなかったですね。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る