トルシエが明かす日韓W杯メンバー選考の真相「中村俊輔を外すことにためらいはなかった」 (3ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by Kyodo News

「リーダーがいなかった」とトルシエは言う。

「私が考えるリーダーとは、日本社会のなかで敬意を払われる人のことだ。日本では目上の人間が尊重される。経験を重ねた年長者に日本人は敬意を抱く。だから、リストを決める最後の瞬間に......つまりノルウェー戦の直後に、オスロでスタッフに招集をかけた。

 そこで私は、彼らに(先に触れた)秋田と中山についてどう思うか尋ねた。

 中山は、久保竜彦の代わりに選びたいと考えていた。久保はグループに入っており、W杯に行ける力を持っていたが、パーソナリティやチームの雰囲気作り、チームに与える安心感などを考慮して、私は中山を選んだ。

 そして、中澤に代えて秋田を選出した。グループをいい状態に保ちたかったし、そのために"強固な守護者"が必要だった。グループの雰囲気を維持し、全体が守られるためにふたりを選んだ」

 秋田も中山も、トルシエの代表での経験はあったものの、この時はグループから外れていた。とはいえ、トルシエは「秋田と中山はいつでもチームに呼べる。最後の瞬間でも可能だ。彼らふたりの存在が、グループに保証を与えている」と、当時も私に何度となく語っていた。

「ふたりのことはノルウェー戦のあとに決めて、ふたりとも同意したが、どちらも欧州遠征には帯同していなかったし、何の準備もしていなかった。それでも彼らに決めたのは、ノルウェーに負けて、グループが脆く不安定だと感じたからだ。"守護者"は絶対に必要だった」

 秋田と中山こそは、日本代表というジグソーパズルを完成させる最後のピースであり、グループの要でもあった。

 トルシエが彼らを選んだ真意を、私たちは大会が始まってから理解する。試合に出場する可能性がほとんどないふたりのベテランが、練習では常に選手たちの先頭に立っていた。「秋田さんや中山さんがあれだけ頑張っているのだから」という思いは、若い選手たちを奮い立たせる効果があった。チームに芯が通ったのだった。

「それは感覚的な決断だった」とトルシエは言う。

「代表監督は、いろいろなことを感覚として感じ、決断する。答えはどこにも書かれていないし、誰も助けてはくれない。感じられるのは私だけで、私は自分の感覚に従って判断する。

3 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る