山本昌邦が振り返る20年前の長い夜。2002年日韓W杯の日本代表メンバーはこうして決まった

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
山本昌邦インタビュー(1)

 4年に一度のワールドカップに臨む日本代表メンバーの発表は、いつも大きな注目を集める。サッカーファンならずとも多くの人々が予想を展開。当事者は気が気ではないだろうが、第三者として見ている分には結果はどうあれ、相当に盛り上がること間違いない。

 今から20年前、2002年ワールドカップ日韓大会の時もそうだった。

「結論を言えば、(本大会のメンバーが)決まったのはノルウェー戦が終わった夜です。監督とコーチ3人、それと通訳の計5人だけで会議をして、そこですべて決まりました」

 そう回想するのは、当時日本代表コーチを務めていた山本昌邦である。

日韓W杯における日本代表メンバーの選考について語る山本昌邦氏日韓W杯における日本代表メンバーの選考について語る山本昌邦氏この記事に関連する写真を見る 2002年5月14日、日本代表はオスロでノルウェーとの親善試合を行なった。それは、ワールドカップメンバー発表前の最後のテストマッチだった。

 このヨーロッパ遠征には、26人の選手が帯同しており、フィリップ・トルシエ監督曰く、「(本大会の)メンバーの99%は、このグループにいる」はずだったが、最終テストとなる試合に0-3で敗れたことが、危機感を高める結果につながったのかもしれない。選手選考は長時間を要し、会議が終わる頃には「もう外がすっかり明るくなっていた」と、山本は記憶している。

「ホテルの部屋で模造紙を広げて名前を書き入れ、『こうだったらこうなるよね』と試合のシミュレーションをしながら選んでいきました。(1998年の)前回大会で発表前にメンバーが(マスコミに)漏れたことがあったので、それだけは絶対に阻止しようということで、会議が終わったあとは自分のノートにメモしたもの以外、一切部屋から外へは持ち出さないことを徹底しました」

 そして迎えた、メンバー発表当日の5月17日。都内のホテルに詰めかけた報道陣を前に姿を現したのは、日本サッカー協会強化推進本部副本部長、木之本興三だった。

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