明神智和が20年前の日本代表の準備の甘さを吐露。「トルコ戦に向けて死に物狂いだったかというと、ノーだと思う」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Getty Images

 だが、仙台から静岡に戻ったあとの記憶だけははっきりしないと、明神は言う。

「確か(トルコ戦の)次の日には静岡に戻って、(チームは)解散したと思うんですけど、どうやって仙台のホテルから帰って、(キャンプ地のホテルの)部屋を片づけて、どうやって解散したのか。全然覚えていないんですよね」

 そして一拍置き、こう続けた。

「なんか、あっという間に終わってしまったというか、そう感じた印象だけが自分のなかにあります」

 それは単にひとつの大会の終わりというだけでなく、4年間の戦いの終わりをも意味していた。

「(開催国でワールドカップの)予選がないなかで、シドニーオリンピックも含めて、A代表とオリンピック代表が並行していろんな準備をして、2002年ワールドカップに向けてチームを作ってきた。それがなんか......、本当に終わってしまったんだなって。その寂しさはありましたね」

 グループリーグを2勝1分けの無敗で突破し、どこまで勝ち進むのかと期待された日本代表に突如訪れた終焉の時。20年を経た現在、トルコ戦を振り返り、明神は何を思うのだろうか。

「日本でやるワールドカップだったので、(開催国としてシードされたために)グループリーグでの対戦相手は、正直恵まれていたと思います。しかも、決勝トーナメント1回戦の相手がトルコ、"たられば"ですけど、そこで勝っていれば、次はセネガル。そういう組み合わせって、今後もまずないと思いますからね。そういうことを振り返ると、あとになって感じるものではありますけど、ものすごく大きなチャンスを逃したなと思います」

 明神は「当事者としてそのなかにいた時には、(決勝トーナメント進出を決めたことでの)緩みとか満足感とか、そういったことは考えたこともなかった」ときっぱり言い切るが、「ただ」とつないで、こう続ける。

「今振り返ると、やっぱり予選突破したことで、どこかでふっと緩んでいた部分もあっただろうし、じゃあ本当に、ベスト8、ベスト4を自分たちが死に物狂いでつかみにいく姿勢で、あのトルコ戦に向けて準備できていたかというと、そこはノーだと思います。だからこそ、もっと自分たちがハングリーになっていれば、結果は違ったんじゃないのかなって、その後悔はずっと残っています」

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