JFAアカデミー卒、J2クラブから日本代表入り。加藤聖20歳が徐々に才能を開花させた異色なキャリア (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

---- 実際に入ってみて、JFAアカデミー福島の環境はどうでしたか(注:加藤選手の在校時は静岡県御殿場市で活動。2021年からは段階的に福島県双葉郡広野町での活動を再開している)。

「ほかのJクラブの環境はわからないので比較はできないですけど、寮生活なので常にほかの選手たちと一緒の環境にいて、すぐにミーティングもできますし、練習場も歩いて10分もかからないくらいのところにある。サッカーを一番に考えることができるので、サッカー小僧というか、サッカーを本気でやりたいと考えている人にとっては、本当にいい環境だなって思っています」

---- 高校時代、選手権(全国高校サッカー選手権大会)に出たいという気持ちはありませんでしたか。

「憧れはありました(笑)。正直、うらやましいなっていう気持ちはあったんですけど、僕は環境を一番に優先したかったので、そこは仕方ないなと思っていました」

---- サイドバックになったのは、いつ頃ですか。

「中学の時にサイドバックをやることが多くなって、高3の時はサイドバックでした。でも、高1、高2の時はサイドバックにもっといい選手がいたので、僕はサイドハーフなどをやっていました」

---- サイドハーフでも、左サイドですか。

「高1の時は左サイドをやっていたんですけど、2年になったら、今アルビレックス新潟にいる三戸舜介が(1学年下で)入ってきて左サイドハーフをやっていたので、僕は右サイドでした」

---- サッカーに没頭できる環境を求めたのは、将来プロになりたかったからですか。

「JFAアカデミー福島に入ったからには、大学(進学)とかは考えず、プロに入りたいっていうのはずっと思っていました」

---- 卒業後の進路選択にあたっては、いくつかのクラブからオファーがあったのですか。

「僕は高3の8月くらいに(長崎加入が)決まったので、ほかの選手よりは若干早かったのかなと思いますけど、ちょうどその直後ぐらいから(U−18日本)代表にも選ばれるようになりました。もう少し待っていたら、もしかしたら(他クラブからのオファーも)きたかもしれないです(笑)。でも、最初に声をかけてくれた長崎で頑張ろうって決めました」

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