戸田和幸「最初は強く断った」ボランチ転向。赤髪モヒカン姿で日韓W杯へ挑んだ理由 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 藤巻 剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

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「消去法で最後に(自分のところに)きたな、という感じだったので、最初はかなり強くお断りしました。監督は自分の起用に責任をとると言っていたけど、その責任のとり方って、あくまでも監督の都合にすぎない。(うまくいかなければ)僕を外して、元に戻すだけなんですから。

 僕は今、指導者をしていますが、もし選手をコンバートさせるとしたら、一定期間を設けて、必要な考え方や情報を与えて、トレーニングをする時間もしっかり与えてから『最終的に、どう?』と選手に判断させます。

 でもその時は、準備期間も何もなく、(自分は)どうプレーしていいのかもわからない。それで試合に出て、いいパフォーマンスができず、チームとして機能しなかったら大変なことになりますし、そもそも僕はセンターバックとして生きていくつもりだったので、やりたくなかったんです」

 しかし、戸田に選択肢はなかった。チームの指揮官は、絶対的な存在である。そこで言い争ったところで、勝てはしない。ボランチ起用に不満ならば、ベンチに座るか、クラブを去るしかない。

 そもそも戸田には、大好きなフットボールを続けるため、プロになるため、自分に言い聞かせてきたことがあった。

「僕はプロになるのが目標だったんです。でも、自分のやりたいことをしていてもプロになれないと思っていたので、高校からは自分のやりたいプレーは一切していないんです。自分のスタイルやポジションで生きていく選手がいますけど、自分はその(レベルの)なかに留まるために、必要とされるところで必要なプレーをする。プロに到達するためには、そこで生き残るためにはどうすればいいか、というマインドで高校からはプレーしてきました」

 中学から桐蔭学園高に行く際にそのマインドがセットされ、プロとなってからもその気持ちでプレーしてきた。それゆえ、このコンバートも最初は断ったが、プロとして生きていくために受け入れた。

「まず、ボランチというポジションについて勉強しました。もともと自分はメインプレーヤーじゃないですし、周囲の選手の特徴を見て、自分が何をすればいいのかを常に考えています。ただ結局は、ボランチでもセンターバックでやっていたことをやっただけです。

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