【日韓W杯から20年】FIFA会長の裏切り行為も。招致活動は日本有利で進むも韓国との共催になった理由 (2ページ目)

  • 後藤健生●text by Goto Takeo
  • photo by AFLO

国内の機運の高まり

 1970年ワールドカップの試合がテレビで放映されたことがきっかけで、1980年代になると日本でも個人技を身につけた若い選手たちが育ってきていた。実際、1985年のW杯アジア予選では、日本は最終予選東地区の"決勝"まで勝ち進んだ。最後はすでにプロ化していた韓国に敗れたが、日本サッカーのレベルが上がっているのは間違いなかった。

 そこで、日本サッカー協会は1986年10月の全国理事長会議で賛同を得たあと、村田忠男理事を中心にワールドカップ招致に動き始め、1991年には正式に招致委員会も発足させた。

 最大の問題はスタジアムだったが、1980年代後半にはプロリーグ創設の動きが始動していた。

 無理をして巨大スタジアムを建設しても、大会後に使用できないのでは資金の無駄遣いになってしまう。だが、プロリーグができるのなら、新設されたスタジアムはプロの試合に使用することができる。

 一方、プロリーグ成功のためにも大規模スタジアムの建設が必要だった。そこで、ワールドカップ招致とプロリーグ(Jリーグ)創設は「車の両輪」のような存在となっていく。

 Jリーグが1993年にスタートすると、入場券はプラチナチケット化。当時日本に存在した小さなスタジアムはすべて満員となった。つまり、大会後にはJリーグクラブのホームスタジアムとして使えるメドが立ったので、各地でワールドカップのための大規模スタジアム建設の計画が進んでいった。最終的には15の自治体が開催地として立候補している。

 こうして、2002年ワールドカップが日本で開催されるのは、既定の事実かのように思われていた。

 ところが、1993年に韓国が突然、立候補の意向を示したのである。

 この年、大韓蹴球協会会長に就任した鄭夢準(チョン・モンジュン)会長は「一度もワールドカップ出場したことのない日本でなく、すでに何度も出場している韓国で開催すべきだ」と主張したのだ。

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