ファルカンが語る日本代表監督時代の思い出。「こんな代表は世界のどこにもない」 (3ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

スピードと聡明さを生かしたチームに

 このように私の仕事環境は非常に恵まれたものであった。こうした環境は私の心に平安を与え、私はとてもスムーズに仕事を始めることができた。

 日本に来てすぐ、私は日本人選手のスピードと聡明さは、他のチームよりも勝っていると気がついた。このふたつの長所を主柱にしてチーム作りをしていけば、いい仕事ができると思った。

 すでにプレーのアイデアが確固としてあり、それを選手に教える。日本はそんな監督に慣れていたのかもしれないが、日本代表に必要なのはそれではないと思った。4-3-3のシステムを使うからこの監督がいいとか、そういう考え方による監督選びは大きな間違いだ。その監督にどんな好みがあるかなど関係ない。メンタルが強く経験があり、自分の手元のカードを的確に把握し、それを最大限に利用できる。そんな人物であることが重要なのだ。もしかしたら、そこが私とJFAとの意見が分かれたところだったのかもしれない。

 私のやり方は、まずはそこにいる選手たちの資質を見て、それを最大に生かした強いチームを作ることだった。私は選手一人ひとりを、チームを、リーグを、日本人そのものの考え方を研究した。そこで導き出した答えが「聡明に守りながらも常に攻める準備ができており、いざボールを得ればスピードと創造性をもって相手ゴールに向かう」――そんなチーム作りだった。

 私は多くの試合を見て、最高だと思える選手を5人選び出した。そして彼らの特徴に最も合った戦術を採用した。目指したのはこの5人の選手たちが彼らの持てる最高の力を出せるプレー、オンザボールでもオフザボールでも熱く戦えるチームだった。

 私は日本を、他のチームに恐れられるような攻撃的なチームにしたかった。守備の場面で、弱いチームがするような、11人でゴールを守るやり方をすべきではないと思った。もっと頭のいい守り方、強固に守りながらもすぐに攻撃に転じられるような守備をするべきだと思っていた。

 守りながら攻める、というのが一番近いかもしれない。今の日本のサッカーを見る限り、日本はそのことを理解したと思う。

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