28年前の日本代表監督解任劇。ファルカンは悔しさを露わにして振り返った

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

あの韓国戦から日本の飛躍は始まった

 日本を率いたのは9カ月にも満たなかったが、そんな短い期間では何もすることはできない。私は失望した。クラブの監督であればその8カ月を練習で過ごせただろうが、代表監督の8カ月は異なる。視察であちこちを飛び回り、選手を研究し、やることは山ほどあり週に7日仕事をすることもしばしばあった。それは苦にはならなかった。今の忙しさが、必ずや花となり実となると信じていたからだ。だが日本を強くしたいという気持ちで進めていた山ほどのプロジェクトは、すべて水の泡となってしまった。

 何人かの知人に、「こんなに早く代表監督の首をすげ替えるのはよくあることなのか」と尋ねた。アジアカップの敗退が問題なのかとも考えた。あの試合に我々は勝つことができたし、勝つべき試合だった。もしあそこで勝っていたなら、すべては違っていただろう。少なくともあと2年は日本代表を率い続けることができたはずだ。

 しかし、試合はミスジャッジのせいで負けたのであり、日本はいいサッカーをしていた。ゴールも決めたし、目に見えて強くなってきていた。実際私が代表監督をして以降、日本はどんどん強くなっていった。それから一度もW杯出場を逃さず、年を追うごとに強くなってきている。

 何が解任の決め手となったのか。私は今でも自問する。しかし、答えはわからないままだ。今日に至るまで、誰も私にきちんとした説明をしてくれてはいない。契約は終了しました。ありがとう。それだけだ。日本を去るのは本当に悲しかった。

 日本は私が去ってすぐに大きな成長を始めた。あの私が最後に率いた韓国戦から今日までの日本の飛躍は目覚ましい。世界でもこれほどの飛躍を遂げたチームはないと思う。今日本は世界のトップ12に入るようなチームで、誰もが日本に勝つことは簡単ではないと知っている。サッカーをよく知り、いいプレーをし、ゴールを決め、多くの選手が世界のトップリーグでプレーし、さらに成長を続けているのだ。

 一度はこのチームを率いた者の責任として、私は常に日本代表を見てきた。

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