28年前の日本代表監督解任劇。ファルカンは悔しさを露わにして振り返った

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

成果が出るのを待ってくれると信じていた

 なぜ、もともと1年などという短いオファーを受けたのかとよく聞かれるが、ふたつのことが私を突き動かしていた。

 まず、新たなサッカーを知り、ブラジルとは違ったアプローチを知ることに興味を覚えたこと。ふたつ目はテクニカルのレベルが高いチームを、自分の力でより成長させW杯に導きたかったことだ。だからまず1年間でいい仕事をしてある程度の結果を出し、契約を延長するというのが私のプランだった。

 JFA幹部の多くは私が監督をすることに賛成だと教えられていたので、たとえ契約が1年であったとしても、自然と延長の流れになると思っていた。それに日本人は忍耐強いことで有名だ。実際、日本人がいい仕事をするのは忍耐力があるからだろう。だから私の仕事の成果が出るのも、きっと待ってくれるに違いないと信じていた。私が就任する時、日本に行ったらできる限りの手を貸すとジーコは言ってくれたし、私が来ることが日本を変える力となり、ひいてはジーコの力にもなると言ってくれた。断る理由はまるでなかった。たとえ最初のオファーが半年だったとしても私はそれを受けていただろう。

 セルジオ越後はJFAに私のことを推してくれた人物でもあり、日本にいる間、常に私たちのそばにいて相談に乗ってくれた。彼はいつも日本人は私の仕事ぶりを気に入ってくれていると言ってくれていた。セルジオ越後は日本だけでなくブラジルでも有名だ。彼はエラシコを発案し、(ロベルト・)リベリーノに教えた人物でもある。日本とブラジルのサッカーを熟知するセルジオ越後は、私たちにとっては重要な存在だった。日本サッカー界は彼に感謝をすべきだと思う。

「日本人はあなたにリスペクトを持っている」。私はそういう彼の言葉を信じた。短い契約しかオファーできないのは、今、彼らが新たな時代を作ろうとしているからだろう。こうして私は短くとも先を信じてオファーを受けた。

 しかし、彼らは契約を打ち切った。彼らは正反対のことをすべきだった。契約を延長し、私に仕事を続けさせ、時がきてその成果が実るのを待つべきだった。

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