岡野雅行が語るJリーグベストイレブン、ジョホールバルの歓喜...すべての栄光につながっているゴール (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Jun Tsukida/AFLO SPORT

「それからヘディングするのがものすごく怖くなったんです。レッズでも『おまえ、ヘディングができなくてどうするんだ』って言われて、練習させられていましたけど、クロスからきれいに入れたことはなかったと思います」

 その言葉どおり、岡野が決めたふたつのヘディングシュートは、いずれも他の選手のシュートがバーに当たったはね返りや、ヘディングで落としたボールを頭で押し込んだものだ。岡野の言葉を借りれば、「誰でも入るだろ、みたいなヘディング(笑)。ジョホールバルの時にスライディングで押し込んだような、オイシイところを入れただけのゴールでした」。

 だが、そんなレアなゴールが、しかも2試合連続で生まれるあたりに、ストライカーとして覚醒した岡野が当時、どれほどノッていたかがうかがえる。

 岡野自身、「やっぱり、いいポジションにいたんだと思います」。そんな言葉で、絶好調時を振り返る。

「それまでだったら、もうちょっとサイドにいるところを、いつでもゴールをとれる位置にいたというか、ストライカー的なポジションにいたんだと思います。たぶん、点をとる自信があったから、そういうポジションをとっていたんじゃないのかな」

 当時の岡野は、試合中のPKキッカーも任されていた。当初はウーベ・バインが担当していたが、「調子がいいから、おまえが蹴れ、みたいな雰囲気になっていました」。

 ところが、1996年シーズンの最終戦。横浜フリューゲルスとの試合で得たPKを、岡野は蹴っていない。しかも、自らが倒されて得たPKだったにもかかわらず、である。

 岡野がそれを決めていれば、12点目。日本人選手としては、そのシーズンの得点王である三浦知良に次ぐ、2位タイとなる数だった。

 だが、浦和が2-0とリードしていたこともあり、岡野はそのPKを他に譲ることを決めた。それも、GK田北雄気に、だ。

「あれは、完全にエンターテインメントでした。でも、田北さん、PKうまかったんですよ。だから、『田北さんに蹴らせたら面白いんじゃない?』ってことになって。(当時監督のホルガー・)オジェックは怒っていましたけど(笑)。

 最終戦だったので、サポーターも喜んでくれるだろうなと思っていたら、田北さんが決めた瞬間、スタンドがどよめきましたからね」

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