J開幕前夜の劇的な日本代表の一戦。福田正博は自身のベストゲームにチョイス「あの時がピークだった」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Etsuo Hara/Getty Images

 試合を重ねるごとに自信を蓄えていった日本代表は、同年8月に行なわれたダイナスティカップ(現在のE-1選手権に当たる東アジアの大会)で初優勝。それまでの7年間、まったく勝つことができなかった韓国に(PK戦決着とはいえ)勝利してのタイトル獲得は、日本代表が確実に強くなっていることを、改めて証明する成果となった。

「今みたいに日本代表が注目されていないので、ダイナスティカップ優勝なんて、しれていますよ。まだメディアがほとんど(取材に)来ていない時代ですからね」

 福田は30年前の状況を、そんな言葉で回想する。

 だがその一方で、「これならアジアカップでも優勝できるんじゃないか、っていう思いは持っていました」とも言う。

「チームとしてすごく勢いに乗っている流れでのアジアカップだったので、非常に充実していました。僕自身も自信を持って臨んでいました」

 こうして迎えた、広島開催のアジアカップ。だが、福田の意気込みとは裏腹に、実際に大会が始まってみると、日本はグループリーグから苦戦を強いられた。

 1戦目のUAE戦(0-0)、2戦目の北朝鮮戦(1-1)と2試合連続の引き分け。グループリーグ突破のためには勝利が絶対に必要だった3戦目のイラン戦(1-0)も、試合終了直前に三浦知良が決勝ゴールを決めて辛くも勝利したものの、薄氷の準決勝進出だった。

 ところが、福田は「他の人はどう思っていたかわかりませんが」と前置きしたうえで、「僕自身は、なんかいけるんじゃないかっていう気持ちでいました」と振り返る。

「正直なところ、僕は中東のチームがどれくらい強いのかもよくわかっていなかった。イランとの試合でも、『こいつら、結構うまいな。全然ボールとれねぇな』と思いながらやっていましたから(苦笑)。

 だから、完全にチャレンジャーだったんですよね。勝つことだけしか考えていなくて、負けることを恐れていなかった。(グループリーグで苦戦しても)僕のなかでは、そんなにうまくいっていない感じはありませんでしたし、不思議と負ける感じがしなかったんです」

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