アンリを止めた坪井慶介の日本代表ベストゲーム。「でも、ず~っと引っかかっていた」ことがある (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

 開幕1週間前の試合とは、パラグアイとの親善試合。当初の予定では、コンフェデレーションズカップへ向けた最終調整の場と考えられていたのかもしれないが、それまでの親善試合の結果が振るわなかったうえ、直前のアルゼンチン戦では1-4と大敗していたこともあり、ジーコ監督はこの試合でDFライン4枚を総入れ替えしたのである。

 新たな4バックに並んだのが、宮本恒靖、山田暢久、三都主アレサンドロ、そして、この試合が代表デビューとなる坪井だった。

「当時を思い出すと、あまり考える暇がなかったのがよかったのかもしれません。しかも4バックが全部変わったので、(準備の)期間が短いなかでも、4人全員で『やってやる!』っていう気持ちでいけたのがよかったのかなと思います」

 不意に巡ってきたかようにも見える出場機会。しかし、坪井にしてみれば、「何となく、チャンスが来るかなっていう気はしていました」。というのも、日本代表の活動中に同じセンターバックの秋田豊と話すことが多かった坪井は、そのつど、こんな言葉をかけられていたからだった。

 ツボ、いつでもいけるように準備しておけよ――。

「代表で長く戦ってきた選手にそう言われれば、いつ(出番が)来てもいいようにしておかなきゃいけないんだなって思いますよね。だから、緊張で何もできないっていう状態にはならなかった。秋田さんのおかげはあったと思います」

 デビュー戦の結果は、0-0の引き分けだったが、「4バックの出来は悪くなかったという感触はありました」と坪井。1週間後に開幕を控えたコンフェデレーションズカップでの出場へ向け、当然、意欲は高まった。

「ここがチャンスだとは認識していましたね。コンフェデレーションズカップで自分たちがどう戦うかによって、今後がかなり左右される。そういう意識はありました」

 そして迎えた、大会本番。日本は、まずグループリーグ初戦でニュージーランドを3-0で一蹴すると、この大会のメインイベントとも言うべき、地元フランスとの大一番に臨んだ。

 当時のフランスと言えば、1998年ワールドカップと2000年ユーロを制した世界屈指の強豪国。坪井も、「もちろん緊張はありました」。

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