宇津木瑠美が語るどん底だった「空白の1年」。日本代表選手がなぜサッカーから離れたのか (3ページ目)

  • 早草紀子●取材・文・撮影 text&photo by Hayakusa Noriko

どん底で見えたもの

 2019年の年末にアメリカから帰国したものの、サッカー関係者とは連絡を絶ち、自分が進むべき道を探る日々が始まった。

「10代から常に自分の意思より先にやるべきことがあった。アジアカップ、ワールドカップ、オリンピック予選、オリンピック本番や、国内キャンプやリーグ戦。いつもやるべきことでスケジュールは埋まっていました。でも、そのなかに結果や成果、それに伴う充実感があったので、続けられていたんです。でも、2019年はやらなきゃいけないことよりも、達成感、充実感が上回らなくなってしまって......。そうすると、これまでずっとやってきた自分を今の自分が超えるタイミングがなくなって、意義が見つけられない。どん底でした。

 苦しくてサッカーから離れてみたものの、そんな状況でやるべきことなんて見つけられないんですよね、結局。でも時間はたっぷりある。で、今度は時間があることにも怯えるんです」

 エンドレスな負のループ。ボールも蹴らない、走りさえもしない。気がつけばそんな日々は約1年にも及んだ。

 それでも何か掴めるものがあるかもしれないと、数々の資格を取得したという。

「とりあえず興味のあるものをいろいろやってみよう!って思って、エステティシャン、リンパケアマイスター、発酵食品マイスター、薬膳ソムリエ......結構取りましたよ(笑)。でも、それが自分を救うことはなかったです」

 一向に出口が見えない宇津木にひとつの転機が訪れる。それが聖火ランナーの依頼だった。東京オリンピックの聖火ランナーの第一走者としての大役を2011年に世界一になったなでしこジャパンが担うことになったのだ。ここで当時のメンバーと再会したことで宇津木の止まっていた時計の針が少しずつ動き始めた。

後編に続く>>

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