ホームで痛恨のドロー、サポーターから罵声、カズも激昂。山口素弘が振り返るフランスW杯最終予選の舞台裏

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by Kyodo News,Fujimaki Goh

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私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第16回
初のW杯へ。日本中が熱狂した濃密な2カ月~山口素弘(3)

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 アウェーのカザフスタン戦後に更迭された加茂周監督に代わって、岡田武史コーチが代理監督を務めたアウェーのウズベキスタン戦は、終了間際の呂比須ワグナーのゴールで同点に追いつき、九死に一生を得て終わった。

 これで5戦を終えたフランスW杯アジア最終予選。グループBのトップは、勝ち点13の韓国。以下、勝ち点7のUAE、勝ち点6の日本という順番だった。

 残り3試合。日本は首位通過が困難になり、グループ2位でプレーオフ進出(アジア第3代表決定戦)の権利を獲得するしかなかった。

「ウズベキスタン戦で負けなかったので、ギリギリ持ちこたえた感があった。でも、もうここからは本当にひとつも落とせなくなった」

 日本代表は、国内合宿に入ってシステムを4バックに戻した。さらに、中盤の構成をボックス型からひし形に変更。トップ下に北澤豪、右に中田英寿、左に名波浩、そしてアンカーには本田泰人が入り、山口素弘はスタメンから外れることになった。

 それでも、山口はアンカーとしての出場準備を整えていた。

「アンカーとしてのイメージはできていた。(当時所属の)横浜フリューゲルスでは、サンパイオと(2ボランチを)組んでいたんだけど、彼がアンカーのところで落ち着いてプレーしてくれていたのを見ていたし、自分も経験を重ねていったら『いつか、サンパイオの役割を果たすんだろうな』と思っていた。それが、ちょっと早くなっただけ。

 あとは、とにかく名波とヒデ(中田)を生かす。そのために(自分は)後ろで防波堤として守備をして、前にボールを配球したり、機を見て自らも(前に)出ていったり、というのが自分のすべきことだと認識していた」

 迎えたホームのUAE戦。プレーオフ進出を争う最大のライバルゆえ、まさに絶対に負けられない試合だった。

 UAEとの勝ち点差は1。この試合に勝てば2位に順位を押し上げることができるとあって、日本代表の気合いも十分だった。開始3分、呂比須が先制ゴールを奪って、国立競技場のスタンドも大いに沸いた。

 だが――。後半に入って、セットプレーから同点ゴールを奪われてしまう。山口も途中出場を果たして奮闘したが、流れを一変させるまでには至らず、結局1-1のドローに終わった。

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