山口素弘が詳細に語る「伝説のループシュート」の真相。あの時、選択肢は3つあった (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by Kyodo News

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 来るべく日本でのW杯開催に向けて、またその前回予選、『ドーハの悲劇』の雪辱を晴らす意味でも、日本代表には大きな期待がかけられていた。

 そのなかで迎えたウズベキスタンとの初戦、チームは非常にいいムードで国立の舞台に立った。

「僕が初めて代表に呼ばれた1995年は、ドーハの経験者であるテツさん(柱谷哲二)、都並(敏史)さんとかの世代が多く残っていて、その後、徐々に選手が入れ替わっていった。

 カズさん(三浦知良)や井原(正巳)さんが中心になってチームを引っ張り、中間層に自分や名波(浩)がいて、その下にアトランタ五輪世代のヒデ(中田英寿)、城(彰二)、(川口)能活らが加わってきた。全体のバランスがすごくよくなり、チームの雰囲気もよかった。緊張感はあったけど、このチームで最終予選を戦えるというワクワク感のほうが大きかった」

 ウズベキスタンとは、その前年の1996年12月に行なわれたアジアカップでも対戦。そこで4-0と快勝し、最終予選における事前のスカウティングも綿密に行なわれていて、対策は申し分なかった。

 日本は前半4分、PKでカズが先制点を決めると、その後も攻撃の手を緩めず、前半で4ゴールを量産。勝利をほぼ手中に収めた。

「前半は最高のスタートがきれたと思う」

 日本は強い――。そんなイメージが、対するウズベキスタンだけでなく、同組の最大のライバルである韓国にも植えつけられるような内容だった。

 ところが後半、日本はさらに得点を重ねたが、3失点を喫した。終わってみれば、6-3という大味な試合結果となった。試合後、加茂監督は「これじゃあ、ダメだ」と、勝利したにもかかわらず、厳しい表情を見せた。

 山口も同じ思いだった。

「失点が気になったね。試合中も、オム(小村徳男)、井原さん、名波らと話をして、終わってからも話し合った。あの時は3バックだったんだけど、どうしても(全体が)間延びしてしまう。まず、そこの距離感の問題が出たので、どうするか。

 あと、後半は両アウトサイドの相馬(直樹)と名良橋(晃)のポジションが低くなっていたのが気になった。アウトサイドが低くなると、全体が下がり気味になって、プレスがかかりにくいし、攻撃に転じる際に前との距離が出てしまう。そこで、ボールを奪われてカウンターを食らうこともあった。結果、簡単に失点しまう脆さが見られた」

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