日本代表がブラジルW杯で惨敗した理由。平穏すぎたザックジャパンの4年間 (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by JMPA

【ザッケローニへの疑念】

 しかし、日本代表監督に就任すると3-4-3を封印。正確に言えば、2試合だけ試合の頭から使ったが、その他の試合は4-2-3-1で戦った。

 4-2-3-1は4-3-3と並ぶ攻撃的な布陣として知られるが、当時、世界のサッカー界は、もう攻撃的サッカー対守備的サッカーの時代ではなかった。守備的サッカーはかつてないほど衰退。3-4-1-2を代表とする守備的な布陣も同様に激減した。気がつけば、世界のサッカー界は攻撃的サッカー対攻撃的サッカーの時代を迎えていた。「攻撃的サッカー」は少なくとも欧州では死語になりつつあった。問われていたのは攻撃的サッカーのディテールになる。

 ザッケローニも気がつけば、特別な存在ではなくなっていた。布陣を4-2-3-1しか使用しなかったり、戦術的交代を積極的に取り入れなかったり、世界のスタンダードに照らせば特段、進歩的な監督には見えなくなっていた。

 先に述べたアジアカップの準決勝の韓国戦では、逃げ切りを図ろうと5バックで守りを固める作戦にも出ていた。挙げ句、韓国に同点に追いつかれてしまう。PK戦に勝利したため、それを問題視する声は高まらなかったが、ザッケローニへの疑念が膨らむきっかけになったことは確かだった。

 W杯アジア3次予選では北朝鮮、ウズベキスタンに敗れ、肝を冷やしたものの、最終予選では、オーストラリアに4ポイント差をつけ、この組を首位で通過。順当に本大会出場を果たしていた。ザックジャパンは強くなっているのか否か。ブラジルで開催されたコンフェデレーションズ杯、韓国で行なわれた東アジアカップを経ても、不透明な状態が続いた。

 一進一退するなかで、2014年W杯イヤーに向けて弾みがつく試合となったのが、2013年11月に行なわれたオランダ、ベルギー遠征だった。オランダに2-2、ベルギーには3-2で勝利した。そして悪い意味で、その余韻はいつまでも続くことになった。

 ザックジャパンはそこからブラジルに向けて旅立つまでの半年強の間に、国内でわずか2試合しか行なわなかった。行なえなかったというのが正解だろう。2010年初頭から南アフリカに向けて旅立つまで、8試合を行なった4年前の岡田ジャパンとはまさに正反対の姿を描いた。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る