加地亮の日本代表ベストゲーム。「ヒデさんや俊輔さんとは喋った記憶がない。それでよくサッカーができたな」 (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by (C)Enrico Calderoni/AFLO SPORT

 いわば、期待半分、不安半分の日本代表初合流。だが、加地は苦笑いを浮かべ、「ずっと緊張していた記憶があります」と、当時のことを振り返る。

「すべてが初めてで、しかも海外遠征ですからね。自分がここにいていいのかな、っていう感じでした。海外でプレーしている人もいましたし、テレビで見るようなスゴいサッカー選手ばかりだったんで、なんかこう......、引け目を感じるというか。そんな感じはありました」

 同世代の選手が数多くいたことは加地にとって幸いだったが、「その上の世代のヒデ(中田英寿)さんや(中村)俊輔さんとは、あまり喋った記憶がないんですよね。コミュニケーションもとれなくて、よくサッカーできたもんやなって思います(苦笑)」。

 なかでも、加地が「今でもよく覚えている」と語るのは、チュニジア戦の前日練習でのことだ。

「たぶん中盤の人たちには、僕のプレーを(事前には)あまりわかってもらっていなかったような気がします。だから、そこで自分のよさをアピールするっていうか、自分の特長をわかってもらうために必死でした。

 特にボールがない時の動き出しは、意識しましたね。僕はこのタイミングで走るぞ、っていうことだけはわかってもらおうと練習していました」

 だが、いざ記念すべき日本代表デビュー戦が始まってみると、加地は意外なほどの居心地のよさを感じていた。

「結果的に短期集中というか、ぶっつけ本番みたいなことがよかったのかもしれません(苦笑)」

 その要因となっていたのは当時、往年のブラジル代表になぞらえて"黄金の4人"と評されていた、中田、中村、小野、稲本の存在だった。

「中盤は気が利く選手ばかりで、常に周りを見ながら、その選手のよさを生かしてくれるパサーが多かったんで助かりました。

 この選手は絶対に前を向くっていうポイントでは前を向いて、2タッチ目にはスルーパスを出してくれるし、今はちょっと急がないでほしいなっていうときは、しっかりタメを作ってくれる。だから、周りが動き出せるんです。一人ひとりがやることが常に安定していて、タイミングがとりやすい。それはすごく感じましたね」

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