中村俊輔が02年W杯メンバーに選ばれなかった非情。トルシエが代表監督の4年間は成功だったのか (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

【ウイングバックに中盤の選手を起用】

 トルシエが使用してきたフラット3、4分割表記にすると3-4-1-2は、両サイドにサイドアタッカーが各1人しかいない布陣だ。4-2-3-1で臨んできたフランスのようなチームと対戦すると、サイドアタッカーの背後は狙い目になる。しかもトルシエはそこに、望月重良、伊東輝悦、明神智和、小野伸二、中村俊輔など、中盤系の選手を起用する傾向があった。

 実際、フランス戦では中村が務めた左ウイングバックの背後は、まさに相手の狙い目になっていた。けっして守備力が高いとは言えない中村の背後を突かれれば、傷口は深くなる。大敗の大きな要因はそこにあった。中村が守備をサボったとか、個人的な問題ではないことは、布陣の相性を見れば簡単にわかることだ。ところがトルシエは、中村を2002年日韓共催W杯の最終メンバーから外してしまった。非情とはこのことを指す。

 フランスに続いてスペイン相手にも大敗すれば、さすがにマズい。クビが飛ぶかもしれないとトルシエは考えたのかもしれない。5バックになりやすいその3バックを、トルシエは最初から5バックにして戦った。フラット3ならぬ、フラット5の練習を、試合前から守備陣はしきりに取り組んでいた。

 結果は0-1。終了間際に点を奪われる、形の上では惜敗だった。前戦(0-5)と比較すれば、善戦したようにも見える。トルシエの試合後の表情にも余裕があった。会見でこう述べたのだった。「守備はオッケー。あとは攻撃的精神を持って臨めば......」。開いた口が塞がらないとはこのことだった。最終ラインを5人で固め、さらに守備的MFを3人置けば、いくら攻撃的精神を持って臨んでも、得点はまずできない。

 なじみのスペイン人記者からは「日本は、はるばるコルドバまで守備の練習をしにやってきたのか?」と皮肉を言われる始末。守り倒すような試合をしておきながら、トルシエはよくぞ、「あとは攻撃的精神を持って臨めば......」などと言えたものだと、煮えたぎる怒りを押し殺した記憶はいまなお鮮明だ。

 ただし、日本のメディアも同罪だった。新聞などには「守備は改善した。あとは攻撃だけだ」との見出しが踊った。解任論が高まるどころか、つい1カ月前、フランスに喫した0-5の大敗はすっかり過去のものとなった。日本人は総じてトルシエの術中にはまることになった。

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