バスに3時間閉じ込められても「苦でもなかった」。福西崇史にとって最も印象深い大会とは? (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AP/AFLO

 一方、福西の記憶に「悔しさ」とともに刻まれているのが、2006年のワールドカップだとしたら、それとはまるで対照的な印象をともなって記憶に残っているのは、2004年に中国で開催されたアジアカップである。

「今回、ドイツ戦をベストゲームに選びましたが、"ベストゲーム"ではなく、"思い出に残る試合"という言い方をするなら、この試合......というか、この大会を選ぶかもしれません」

 アジアカップが開催された2004年当時を振り返ると、その頃の日本代表にも「ギクシャク感」を引き起こす要素がなかったわけではない。

 海外組、すなわち、ヨーロッパのクラブでプレーする選手が徐々に増えていくなかで、どんなに国内組が頑張っていても、海外組が招集されるとなれば、国内組は席を空けなければいけない。そんな序列が生まれ始めていたからだ。

 ところが、このアジアカップで呼ばれた海外組はわずかにふたり――川口能活と中村俊輔だけだったのである。

 海外組のコンディションや所属クラブでの事情などを優先した結果ではあったが、「国内組の選手たちはモチベーションが高かった。国内組のチャンスだっていう捉え方でした」。

 今こそ、国内組の意地を示す時――。絶好のチャンス到来だった。

「国内組にとっては、もうそれだけだったんじゃないですか。それだけ、って言ったら、おかしいかもしれないですけど(苦笑)。

 でも、日本はアジアで勝たなきゃいけないプレッシャーがもともとあるわけで、それにプラスして、僕たち国内組には『もうここしかない!』っていうプレッシャーはありましたよね。僕にとっても、2006年のワールドカップ(メンバー)に選ばれるかどうか、そこで試合に出られるかどうかっていうところでは、一番のキーになった大会でした」

 はたして、日本はまるでマンガのような奇跡的勝利を重ね、アジアの頂点にたどり着く。

「ここで結果を出すしかないっていう(国内組の)思いが、優勝という形になったと思います」

 必然、福西にとって思い出に残るのは、あくまでも「この大会」であって、そのなかから「この試合」を選ぶのは難しい。

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