「今考えると、すごい話」と明神智和。日本代表の歴史的な勝利後、ある人物の登場にロッカールームでの盛り上がりは最高潮に達した (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Getty Images

「自分の国でワールドカップができて、夢のような大会でしたけど、ただ冷静に振り返ってみると、最初からもっと上に行くんだっていう気持ちを持っていたら、決勝トーナメントの組み合わせも含めて、結果は違ったのかなとも思います」

 そんな感情に至る過程には、日本とのワールドカップ共催国であり、アジアのライバルでもある韓国が、ベスト4へ進出したという事実も影響している。

「自分たちが敗退した日の夜でしたよね、確か。韓国が(決勝トーナメント1回戦でイタリアに)勝ったっていう情報を聞いて、なんかこう、寂しさがさらに増したのを覚えています」

 皮肉なことに、目標を達成したがゆえに生まれた心残り。だが、明神は「あの時のメンタリティの課題というのは、たぶんその後に生かされていると思うんです」とも言う。

「岡田(武史)さんが『(2010年ワールドカップで)ベスト4を目指す』と言ったこともそうだし、西野(朗)さんが『(2018年ワールドカップで)ベスト8を目指すためには余力を残してグループリーグを勝ち上がらなければいけない』と言ったこともそうだし。

 グループリーグを突破しても、そこでは満足しないっていうのは、日韓ワールドカップから日本全体が学んだことだと思うし、それが今の時代に反映されていると思っています」

 19年前は気鋭の若手として日本代表でプレーしていた明神も、現在はガンバ大阪のユースチームでコーチを務め、若い選手たちを育てる立場になった。

「みんな日本代表を応援していて、(現在行なわれている)最終予選も見ているので、試合の次の日は『勝ったな』とか、『負けちゃったけど、大丈夫かな』とか、その話題になりますよね。やっぱり高校生たちには、日本代表が憧れの存在なんだなって感じます」

 ワールドカップのアジア最終予選を経験したことのない明神は、「今の選手が感じているプレッシャーは、僕が想像もできないほどに大きなものがあると思います」と控えめに語るが、年代別代表では、ワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)、シドニー五輪と、それぞれのアジア予選に出場し、世界への扉をこじ開けてきた。それも、日本が世界へ出て行くのがまだ当たり前ではなかった時代に、である。

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