2021.10.07

日本代表のサウジアラビア戦は苦戦必至。100の力を100出せない理由

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by JFA

 日本から見れば、同じ中東でもUAE、カタール、オマーン、バーレーンより奥まった場所に位置することになる。UAE、カタールと違い、日本からの直行便はない。だからというわけではないが、よりディープで、異文化に触れることになる。

 日本代表を取材する記者たちが、最初に中東の地を訪れたのは1993年のアメリカW杯アジア最終予選の舞台となったカタールだった。ドーハのホテルに2週間、滞在しながら日本の計5試合を追いかけたのだが、ホテルの内部には、密かにアルコールが飲めるラウンジが設けられていて、夜になるとそこで、日本サッカーの可能性について、取材者同士で激論を交わしたものだった。

 最初にサウジアラビアを訪れたのは、そのおよそ2年後。1995年1月に開催されたインターコンチネンタルカップだ。その後、コンフェデレーションズカップに名称を変えた大会だが、当時はFIFAでなく、サウジアラビアが主催していた。キング・ファハド・カップとは、時の王様の名にちなんで名づけられた大会名である。1992年に広島で開催されたアジアカップで優勝した日本は、アジアの代表としてこの大会に臨んでいた。

 結果は2敗。ナイジェリアに0-3、アルゼンチンに1-5と大敗を喫した。アルゼンチン戦で、都並敏史が相手のエース、ガブリエル・バティストゥータに後方から蟹挟みのようなタックルを見舞い、主審からイエローカードを出されたシーンは、肩身が狭くなるような思い出としていまだ脳裏から離れない。

 首都リヤドで行なわれたこの大会に日本から駆けつけたサポーターは、ほとんどいなかった。ドーハには大挙駆けつけることはできたが、サウジアラビアを訪れることは簡単ではなかった。サウジアラビアはイスラム教の戒律が厳しく、一般の入国は制限されていた。

 アルコールも一切口にできなかった。2年前のカタールのように、飲酒できる場所はどこかにあるだろうと楽観的になっていたが、それは甘かった。飲酒する手段は一切なかった。サウジアラビア人に尋ねれば、週末、酒を飲むために海外に出かける人は少なくないという。